第48章 オンリーワン
道路に広がる水溜りが、不機嫌なヒールに蹴られるたびに水しぶきをあげる。
「あー、もう。ほんとよく降るわね」
帰宅時に再び降りだした雨で、足元はずぶ濡れだ。
閉じた傘を数回地面に叩きつけると、黄瀬涼太の母親は玄関の扉を乱暴に開けた。
「ハァ……」
息子と同じ遺伝子を持つスラリとした長身から、深い溜め息がこぼれ落ちる。
(今頃、どうしてるかしら……)
生気のない顔で登校した息子以上に気がかりなのは、小さな肩を震わせていた息子の恋人。
昨日の夜、不用意な質問を投げかけてしまったことを、どれほど悔やんだだろう。
選択肢のひとつでもあった未来について、どんな考えを持っているのか──親として知りたいという身勝手な欲求が勝ってしまった。
(まさか、あんなコトになるなんて)
苦悩の表情を浮かべて帰宅した息子から、話が聞ける状態ではなく。
(一度、向こうに電話して……いや、でも)
どうすべきか考えを巡らせていた彼女は、寄り添うように並んだ靴に目を見開いた。
真っ暗な家に人の気配はない。
二階へと続く階段をちらりと見上げた後、手探りで廊下を進み、リビングへの扉を開ける。
暗闇に包まれた部屋に目をこらした母親は、ホッと安堵の息を吐いた。
「こんな所で寝て……風邪でもひいたらどうすんのよ」
引き返した廊下に足跡を残しながら、毛布を手に戻ってくると、ソファの上で抱きあって眠るふたりにフワリと掛ける。
床に放置された制服を手に取れば、それは雨を含んでずっしりと重かった。
明日までに乾かすのは骨が折れそうだ。
「ま、今回は仕方ないか」
なんとか仲直りした様子に胸を撫で下ろしながら、あと半年も着ないであろう制服を手に台所へと向かう。
音をたてないように点けたキッチンの灯りが、テーブルの上に置かれた紙袋を映し出した。
「……バカ、ね」
お気に入りのコーヒーショップのロゴに、思わず目頭を押さえる。
「謝らないといけないのは私の方なのに……」
鼻をすする音が、静かな部屋にひっそりと響いた。
「さてと、今日は遅くなりそうだから、連絡でもしときますか」
おだやかに眠る恋人達を起こすのは、それからで十分だ。
あと少し、もう少しだけ。
またひとつ壁を乗り越えたふたりの未来に思いを馳せながら、母親は部屋をそっと後にした。
Happy end