第48章 オンリーワン
「――……わ、もうこんな時間」
少しあわてた声と床を鳴らす椅子の音。
黄瀬は、ぽかりと開いた目で数回瞬きすると、顔にかかる髪を掻きあげた。
(オレ……寝てた?)
灯りが落とされた照明を見上げながら、身体の上のブランケットに手のひらを滑らせる。
「あったか……」
モデルらしからぬ大きな口で、脳に酸素を取り込むように欠伸をひとつ。
長い手足を伸ばし、「結」と名前を呼ぼうとしたその時──
「私、そろそろ帰りますね。お母さんおすすめのコーヒー、すごく美味しかったです。ご馳走さまでした」
「じゃあ、すぐに涼太を起こすわ。もう外は暗いし、送っていかせるから」
「あ、このまま寝かせてあげてください。今日から練習メニューが新しくなって、かなり疲れてると思うんです。ホントはマッサージしてから帰ろうと思ってたんですけど、あんな気持ち良さそうに寝てるのを見ると……起こすの忍びなくて」
(ああ、もうホント……)
その言葉だけで癒される。
「へぇ。愛されてるのね、あのコ」とめずらしく名言を吐く母親に心の中でエールを送りながら、声をかけるタイミングを逸した黄瀬は、思わず耳をそばだてた。
彼女と母親がどんな話をしているのか。
それは小さな好奇心だった。
「大会まであと二か月、か。ねぇ、こんなこと聞いてもいいのか分からないけど、正直……どうなの?」
ブランケットを掴む手に力が入る。
黄瀬は、厳しい現実が待つであろう戦いに思いを馳せて、その双眸を光らせた。
海常の黄瀬涼太としての、最後の戦い。
絶対に勝つ
どんな相手が立ち塞がろうとも
たとえこの身体がバラバラになったとしても
最後の一秒まで諦めない
(でも……)
本当に今のままでいいのか
もっとやるべきことがあるのではないか
主将として、自分は自分の役目を果たせているのか
絶えず心を苛むプレッシャーと、拭いきれない不安。
「大丈夫です」
心に落ちる影に目を伏せた黄瀬は、いつもと変わらない声にハッと顔を上げた。
「信じてますから。海常の仲間達のことも、今まで繋いできた絆の強さも。そして、黄瀬涼太という最高のプレイヤーのことも」
静かな中に強さを秘めた、凛とした声と揺るぎない言葉。
それは黄瀬にとって、希望の光そのものだった。