第45章 ルージュ
鈍い音を立てて閉まる扉を施錠する手袋のまばゆい白から、結は思わず目を逸らせた。
この体育館は、海常のバスケ部員達がひとつの夢に向かって汗を流す神聖な場所。
前に一度、激情に流されるままこの場所で抱かれたことは、今でも自重の念とともに頭をよぎるほろ苦い記憶だ。
(もう、あんなコトがないように気をつけなきゃ……)
戒めるように噛んだ唇に、だが口紅の感触は感じられない。
購入したばかりの秋の新色は、パール入りのオレンジピンク。
キスの余韻を残す唇をそっとなぞった指には、やはりルージュが移ることはなかった。
「じゃ、オレ着替えてくるから、ここで待ってて。知らない人に声かけられても、ついてっちゃダメっスからね」
「ム、私はそんな子供じゃありません。あ、ちょっと待って……」
「ん?」
「あの……口紅、ついて……ます」
おっと、と意味ありげに微笑む唇をペロリと舐める舌の赤さに、ようやくおさまりかけた鼓動がトクンと音を立てる。
「美味かったっス。ごちそーさん」
今日も変わることない一級品の笑顔と、頭をポンと叩く手に、胸がきゅっと苦しくなる。
「ヒトの気も知らないで……」
軽く手を上げて、校舎の中へと駆けていく背中を、結は恨めしそうな顔で見送った。
木陰を吹き抜ける風だけでは火照りの引かない頬を、手でパタパタとあおぐ。
少し乱れた服の襟を元に戻すと、結は腰のリボンを指先で整えた。
ファッション雑誌で勉強した成果は、少しは出ているのだろうか。
初めて使ったヘアアイロンで、指を火傷しながら作った不格好なウェーブを指でくるくると弄り、「すぐには上手くいかないよね、やっぱり」と溜め息をついた時。
「水原?」
少しも変わらない精悍な声に、結は迷うことなく振り向いた。