第35章 デコレーション
コーヒーの香りをまず味わって、ブラックのまま口に含むのは、デザートの甘さが引き立つからという結の持論。
「木吉さん、お酒強いんですね。全然顔に出てませんよ」
「結は少し顔が赤いな。飲みすぎたか?」
「そう、ですね。でも、今日は特別……ですから」
誘惑するように染まる頬。
木吉は、グラスに入った水を、渇く喉に流し込んだ。
「あ。でも木吉さんには、居酒屋でビール片手に枝豆……とかの方が似合いそうですね」
「お、それいいな。次はそうするか」
決してお洒落とは言えない約束を交わすふたりの間に、「こちらガトーショコラでございます」と静かにお皿を置いたウェイターが、マニュアル通りの説明を終えて去っていく。
テーブルの上に目を落とした結は、納得いかないという顔でわずかに眉をしかめた。
何か盛り忘れたんじゃないかと思うほど、大きなプレートにちょこんと鎮座するデザートは、添えられた生クリームまでもが控えめで。
「ム。少ない……」
不満げに口を尖らせる姿に軽く笑い声をたてながら、木吉はひとくちでそれを胃袋に納めると、口の端についたクリームをペロリと舐めた。
「ま、酒はほどほどにするさ。飲みすぎると役に立たないって言うしな、男は」
「役に……立たない、って……」
その意味をガトーショコラとともに飲み込んで、結は言葉の続きを失った。
「ちなみに、結に断る権利はないからな」と真っ白なクロスに差し出されたカードキーの意味を知らないほど子供ではない。
すでに、木吉とは何度も肌を重ねた関係だ。
「え……そんなの、聞いて……ません」
動揺とわずかな期待に膨らむ胸が、勝手にバクバクと騒ぎだす。
量に不満があったデザートは、もう喉を通りそうにない。
「家には俺から連絡してもいいぞ。今夜は帰らないってな」
穏やかに弧を描く瞳の奥にたゆたう熱が、服の上から素肌を焼く。
「いや。帰さない……の方が正しいか?」
テーブルの上で固まる手を捕獲する大きな手のひらから逃れることは不可能だ。
手の甲を舐めるように這う指に、一気に酔いが回って反論の声すら出てこない。
テーブルの下で落ち着きをなくした低めのヒールが、カツンと床を鳴らした。