第33章 サイン
「……黄瀬、さ」
「何も言わなくていいから。結がいくらダメだって言っても、もっと早くこうするべきだったんスよ。大丈夫、結はオレが守るから」
(そうだ、オレが……絶対に)
気合いを入れた腕にふと触れる冷たい指先に、ハッとして隣に目を向ける。
「また、変なこと……考えてるでしょ」
弱った瞳に咎めるように見つめられて、黄瀬は大きく息を吐きだした。
(気負いすぎだろ、オレ)
「駄目、ですよ。肩の力……抜いて」
「ハハ。結は何でもお見通しっスね」
顔を見合わせて笑う頬を、柔らかい風が撫でるように通りすぎた。
「そーいうのは、俺がいなくなってからお願いできますか?」
「あ。ゴメン、一ノ瀬。お前のコトすっかり忘れてた」
「それ酷すぎでしょ!」
風が通る木陰を目指して先導する後輩の背中を、ふたりでそっと見守る……それはささやかな、そして穏やかな時間だった。
「まだ顔色よくないっスね。気分はど?」
「まだ、少し……」
紫の唇に色はまだ戻らない。
強がらず、ありのままの姿を見せてくれることが嬉しくて、黄瀬は木陰で休む結をそっと見守った。
幸い、熱中症ではなさそうだったので、一ノ瀬は先に体育館に帰した。自ら退散した、という方が正しいが。
「黄瀬さん……」
「ん〜?」
「ファンの子たちは大事にしなきゃいけなかったのに……あんなことになってすいません」
「何言ってんスか。オレのファンだからって、結を傷付ける権利なんて何処にもないんだって」
「わりと丈夫な作りなんですけどね、私の心臓」
「ウン。知ってる」
むくれる頬に赤みが戻ったことにホッとしながら、まだ冷たい指を温めるように繰り返し触れる。
(あ、れ?なんか様子がヘン……)
黄瀬が眉を顰めた時、「今日は……もっと一緒にいたいな」というつぶやきが無防備な彼に襲いかかった。
「ブハッ!」
盛大にふき出し、ゴホゴホとむせる黄瀬の、短い髪が風になびく。
「ちょっ、だから!いきなりデレるの禁止だってば!」
「デレてません」
「天然ってホント怖い……ま、いいや。じゃ、帰りうち来る?結んちでもいいけど」
お兄さん、いるかなとつぶやく黄瀬に「いますよ。きっと」と断言する声は、少し元気を取り戻していた。