第21章 バニラ
胸に凭れてくる身体を少し強く抱きしめながら、黄瀬は不自然な間には気付かないふりをした。
「じゃ、少し充電させてもらおっかな」
「元気になったんじゃ……なかったんですか?」
尖った声で反論しながらも、居心地のいい場所を探すように額をこすりつけてくる仕草に心が揺れる。
「ヤバ……」
病み上がりの身で、しかも朝っぱらからがっつく訳にいかないことは、頭では分かっている。
(学校なんて休んで、このままオレのベッドに引きずりこんだら……いやいや、さすがにダメっしょ!)
一日中、彼女の肌に溺れる夢のような時間をリアルに想像して、むくむくと膨れあがる煩悩を追い出すように、黄瀬はふるりと頭を振った。
「どうしたんですか?もしかしてまた熱が……」
腕の中から心配そうに見上げてくる澄んだ瞳が、薄っぺらい理性を容赦なく剥がしていく。
モデルという派手な肩書や、外見だけで近づいてくるオンナのコ達には一切感じなかった、血が滾るような想い。
制御不能に陥る前にと、黄瀬は自分の唇をキツく噛んだ。
「黄瀬さん?本当に大丈夫ですか?」
「……なんかさ、今日は名前で呼んで欲しいな」
「な、何をいきなり……」
ポカンと口を開けたまま、頬を朱に染める恋人に、黄瀬は小さく溜め息をついた。
「そんな無防備な顔したら、マジで襲っちゃうよ。風邪は治りかけの時が移りやすいって言うから、必死で我慢してんのに」
どれほど求めているか、その身体に刻みたい。
背中に回した腕に力を込めたその瞬間。
「……私、めったなことじゃ風邪ひかないんですよ」
「へ」
マスカラも塗られていない睫毛が、誘惑するようにぱちぱちと瞬く。
「試して……みます?」
涼太、とかすかに動く唇。
耳まで赤くなりながらも、挑戦的な瞳を向ける恋人の視線を受け止めながら、黄瀬はゆっくりと身を屈めた。
「ホント、に?」
「もし熱出たら、お見舞い……来てくださいね」
「ハハ。了解」
指に絡めた黒髪から漂う、バニラエッセンスのほのかな香り。
少年のようにトクトクと鳴り響く胸の奥深く、その甘い香りを思いきり吸いこむ。
(朝練、遅刻するかも。早川センパイ……スンマセン)
心の中で謝罪したのはほんの一瞬。
やわらかな唇が重なる瞬間を待ちわびながら、黄瀬はその涼やかな目をそっと閉じた。
end