第1章 娼館【Night raid】
ネコは静かに椅子に座る。
部屋はもう準備が整っていて、後は営業時間ギリギリにやって来る愛しい主人を待つばかりだ。
暇な時間、別の主が帰ってくるかもしれないが、
――こんな感情を持ってはいけないと思いつつ――
今夜来てくれる主人は特別慕っている人だ。
無意識に頬が緩むのが恥ずかしくて被ったローブのフードを更に引き下げる。
ネコ「ミュラーさま…」
名を呼ぶだけで、その響きが甘く喉を潤してくれるようだ。
騎士であるが故に彼は真っ直ぐで純粋である。
ドルイアド「ッハァ!御主人のメルヒェンには頭が痛くなりまさぁ」
部屋の褥を最後に、と仕上げていた小姓のドルイアドが刺々しく云う。
ドルイアドは騎士の持つ剣の精である。
まだ若く情緒に欠ける面があった。
だが又そんな跳ねっ返りな反応もネコはとても好きだ。
ネコ「ドルイアドに恋はまだ早いかな?」
笑って聞けば舌打ちをする彼。
ドルイアド「ならさっさと結婚しちまえば良いじゃないですか」
蓮っ葉に云う少年にネコは首を振る。
ネコ「ドルイアド、花は野に咲くから美しいのだ。手折って持ち帰ればいつか枯れてしまう。俺はそれより又来年同じ場所に同じ花が咲くのを見るのが好きだ」
どこまでも甘ったるい主人の言葉に終に小姓は足音も荒く部屋を出て行く。
ネコ「ここで愛する主君達はみんなみんな、美しい野に咲く花だ。俺が手にするのは相応しくない」
薔薇だったり菊だったりマーガレットだったり。
いろんな美しい花々が彼を訪ねて来てくれる。
けれど、どれも美しく瑞々しく、生に溢れ死人に近い彼の冷たい手で触れるのは汚すようでいつもとても申し訳ない。
そうでありながら、ネコは娼館に働く誰よりも主人達を愛しているつもりでいた。
彼は二階の窓から見える雑踏を眺めた。
嗚呼、早く、愛する主君がこの部屋に駆け寄ってくる瞬間が見たいものだ…と。