第2章 貴女に愛が届くまで
その日はなんの音も聞こえない夜だった。
酔っ払いが酒を酌み交わす声も、夜泣きをする赤子の声すら聞こえない。無が周りを占めている、そんな夜だった。
だが、ある工房には一つの灯りがともっていた。
灯りの先には小さな器具で目をこらしている男がいる。男は武骨な手に似合わず繊細な作業をしていた。櫛歯をはじく円柱型の突起の調整。たまに弾いて音を確認する。
その傍らには花嫁衣装を着た人形とタキシードを着た人形が仲良く向かい合っている。男はどうやらその中に入れ込むものを作っていたようだ。
男は慎重に部品を組み、仕上げていく。これを渡すのは今日だ。もう時間がない。とはいってももうからくり自体は出来ているのだ。問題は綺麗に音を鳴らせるための調整だった。
親方からもよくからくりは得意なのに本業がおろそかでお前の作るもんは可哀想だ、なんて言われてしまう。けれど今回のものは自分の中で最高の出来だと信じている。
先ほどまで組み上げたものを人形の中に入れ、つなぎ合わせていく。もう一つの人形も同様だ。
息も飲めないような作業を続けて、男はついにすべてをやり遂げた。ふぅ、と息を吐いて椅子にもたれかかる。肩周りがこわばっているのを感じて男は長いこと集中していたのだと実感した。
大きく伸びをして、目を閉じる。すると耳に周囲の音が聞こえだした。いつもと変わらない街のひっそりとした、けれど聞こえてくる生活音だった。
もしかしたら自分の集中力が高すぎて何も聞こえなかったのかもしれないと男は苦笑する。
しばらく聞いていたい気もしたが、そうもいかない。自分は今日この街を離れるのだ。彼女とともに。
男はっとする。
ポケットをまさぐり懐中時計を取り出す。約束の時間まであと数分しかなかった。
慌てて男は上着を羽織り、荷物をまとめ、工房のドアに走り寄る。だが、急に足が止まりまた先ほど座っていた場所に戻っていく。
取りに来たのは先ほどまで作っていたあの人形たちだ。新婦と新郎の二つの人形を優しく抱き留め、男は今度こそ工房を出た。