第9章 熱
「大丈夫?座んなよ。それに、時間。俺はいいけど、悠里ちゃんは出勤でしょ。もう7時45分だよ。」
「へ!?」
秀星くんの声は、もういつも通りのそれに戻っていた。さっきの表情も声も、夢だったみたいに。でも私の口の中には、まだほんのりとメープルシロップの味が残っていて。
「いくら職場が公安局の中でも、もうそろそろ食べなきゃ、遅刻するよ。俺のことはいいから、先に食べなよ。」
言いながら、秀星くんはテーブルの上で、手早くホットケーキを食べやすい大きさに切り分けて、私の目の前のお皿へと置いてくれた。メープルシロップがホットケーキの上でキラキラ光っているのを見て、妙な心地がした。
「い、いただきます……!」
それでも、せっかく作ってもらったものを、なるべく味わうようにして食べる。ようやく味覚が戻ってきたのか、独特のふわりと甘い食感が、口いっぱいに広がった。
「秀星くん、とってもおいしい……!」
何も考えなくても、秀星くんの「料理」を食べると、こういう反応をしてしまう。
「ん、どういたしまして。」
秀星くんも、私の反応に満足そうだった。
「ところで、俺の指についてたのと、ホットケーキに掛かったのだと、どっちが美味しかった?」
突如、さらりと爆弾発言。もう、リアクションに困る。反応しそうになる私を無理やり押しとどめて、ひとまずは無視して口の中のホットケーキを飲み込んだ。
「分かんないけど、秀星くんと一緒にこうやって「料理」を食べられるの、嬉しい。」
どっちの答えにすればいいかも判断できなかったので、今の私の気持ちをそのまま、言葉にしてみた。これでいいんだろうか。
秀星くんは、ふっと笑って、それ以上は訊いてこなかった。秀星くんの反応を見る限り、少なくとも秀星くんを不快にさせてはいない。分からないときは無理に答えを出さず、感じたままをそっと差し出す、それでいいのかもしれないな、と思った。秀星くんは、あまり時間が無い私のために、サラダも小鉢に取り分けてくれた。こういうさりげないところも、優しいと思う。