第36章 心
***
それから、どれぐらい時間が経ったのだろう。30分程度かもしれないし、1時間以上が経ったのかもしれない。秀星くんは、私と反対側に顔を向けたまま、少しも動かない。退院してすぐに、普通の勤務シフトだったらしいし、疲れているのかもしれない。
「……秀星、くん……」
小さな声で、呼んでみた。当然、反応は返ってこない。何の音もしないから、秀星くんの体だって、少しも動いていない。熟睡しているのだろうか。
秀星くんは「眠って」いる。―――――それならば。ほんの少し、独り言を言ってみよう。起きている秀星くんには言えないことも、眠っている秀星くんになら、言えるかもしれない。たった今、秀星くんの名前を呼んだよりも、さらに小さな声――――それこそ、顔を突き合わせて相手の声だけに集中していたとしても、聞こえるかどうかすらもわからないぐらいの音量で、私は言葉を紡いでいく。
「……、怪我……、は……、もういいの?」
「……話をきいたとき……すごく、心配しちゃった……。」
「秀星くんに……、秀星くんに何かあったら、……って思ったら……、もう……ね。」
私が発した微(かす)かな音は、秀星くんの耳に届くよりも先に、この部屋を支配している闇に吸い込まれていくような錯覚すら覚える。でも、いい。むしろ、だからこそ狡い私でも話せるというものだ。私は、起きている秀星くんに面と向かって話すことができない。そのクセに、自分の話は、自分の気持ちは秀星くんにきいてほしいなんて思っているんだ。でも、秀星くんに「きいて」なんて言えない。でもそれは、秀星くんの負担を気遣ってというよりは、自分が相手にどう思われるかが気になって言えないだけ。もし、それで相手が私を―――――私が秀星くんに「重たい」なんて思われたら――――そんなの嫌。起きている秀星くん相手には、自分可愛さに何も言えない狡い人間、それが私。もしかしたら私は、秀星くんに万が一のことがあることじゃなくて、私を「好き」と言ってくれた秀星くんがいなくなることの方が、或いは辛いのかもしれない。