第53章 セイレーンの歌
広い広い海には、数多の冒険と同じくらい、数多の伝説が残っている。
渦潮を起こし、灼熱の炎を吐き、強靱な鎧の鱗を生やしたリヴァイアサン。
音もなく忍び寄り、幾千もの船を冷たい海底へと引きずり込んだクラーケン。
9つの首を持ち、不死身の生命力と猛毒の息吹で人々を死に至らしめたヒュドラ。
そして、美しい歌声で多くの人々の心を魅了し、船を沈没へと導くセイレーン。
その歌は、耳にすればたちまち心を奪われる。
ある人は頭を棍棒で殴られたようだったと語り、ある人は雷に撃ち抜かれたようなショックを受けたと語る。
美しい美しい歌声は、まさしく奇跡。
慈しみの歌を唄えば、たちまち緑が芽吹き、蕾は花開く。
癒やしの歌を唄えば、傷が塞がり病があっという間に良くなる。
眠りの歌を唄えば、泣く子もたちどころに眠る。
雨乞いの歌を唄えば、砂漠に雨だって降らすことができる。
滅びの歌を唄えば、残虐非道な武将も為す術なく心臓を止める。
目覚めの歌を唄えば、深い眠りについたあらゆるものを叩き起こす。
セイレーンの歌に、特別な法則はない。
ただ、想いを込めて唄うだけ。
“大海の奇跡”
ある者は、彼らの歌をそう呼んだ。
奇跡を起こすのは、神などではない。
誰もが、奇跡を求めている。
彼らの歌を、求めている。
しかし、欲することなかれ。
彼らの歌は、船を沈没へと導く恐怖の歌。
耳を澄ませば聞こえてくる、セイレーンの歌。