第52章 ハート
倒れ行く部下を前にして、それでもサカズキは事態の認識ができていなかった。
いや、サカズキだけではない。
あの弱くて甘いモモが、まさかこんな力を発揮すると、いったい誰が想像できようか。
「げ、元帥……。」
「なんじゃい、早う捕えろ!」
「息が…、ありません……。」
「あ……?」
倒れた兵を介抱していた者が、顔面蒼白になりながら口を開いた。
「み、みんな…、心拍が停止しているのです!」
心臓が止まることすなわち、死を意味している。
海兵に死を与えた者……この場において、ひとりしかいない。
“奇跡の歌い手”セイレーン。
奇跡とは、常識では考えられない神秘的な出来事。
けれど、奇跡といっても、なにも良い出来事ばかりとは限らない。
例えば、死を引き起こすことだって。
「セイレーン! おどれ、なにを唄って……!」
しかし、返ってきたのは死の歌声。
『…――。』
「うぐ……ッ」
耳にした海兵が、また数人倒れた。
(なんじゃい、こりゃァ……。)
セイレーンのことを、生きる兵器にと考えていたのはサカズキ自身。
知っていたからだ、かつてセイレーンの里で起きた悲劇を。
でもまさか、その悲劇が今ここで再現されようとしているとは、サカズキも考えていなかった。
悲劇の歌……滅びの歌が復活してしまった。
「やめんか、セイレーン!」
海兵ですら怯える迫力で怒鳴っても、モモは表情ひとつ変えずに唄い続ける。
『…――。』
それどころか、歌声はどんどん大きくなり、ついにはサカズキの耳にも届く。
「ぐ……ッ」
ずきりと胸が痛んだ。
息が苦しくなり、目眩もする。
「セ、セイレーン……!」
『……。』
胸を押さえうずくまるサカズキを見下ろすのは、草木を育て、平和を愛するモモではなく、破壊と滅亡を望むセイレーンであった。