第9章 思い出を辿る
へし切長谷部の存在は、普通にしていれば人間には見えないらしい。
見えないというか、正確に言えば見えにくい。
認識できれば普通の人間と同じように共有できるのだが、認識するにはこちらから声をかけるか、あるいは向こう側が見ようとしなければ認識できないと言う。
これはなかなか便利だとへし切長谷部は思う。
「お、着いたな」
男の声に足を止めれば、そこには決して綺麗とは言えない少し寂れた店があった。
下がっている暖簾には、平仮名でらーめんとどでかく書いてある。
らーめん、とへし切長谷部は口の中で呟いてから、店の中へ入っていく男に続いた。
店内に入ると、なんとも言えないいい匂いが鼻腔を満たす。
いらっしゃい、という声を浴びながら、男とへし切長谷部はカウンター席に着いた。
「長谷部何食いたい?」
カウンター席に着くなり男はへし切長谷部に尋ねる。
メニューは壁に貼ってあるもののみで、へし切長谷部はそれに目を通しながら頭を悩ます。
味噌らーめん、塩らーめん、醤油らーめん、豚骨らーめん、エトセトラエトセトラ。
悩みに悩んだ末、へし切長谷部は適当に醤油らーめんを、と言った。
「お、醤油か。おっちゃん、醤油と豚骨ラーメン、後餃子を頼む。」
男が慣れた風に注文すれば、この店の店主らしき人物は人の良さそうな笑みを浮かべてメニューを繰り返す。
店内に響き渡る程の声量に、へし切長谷部はぎょっとしつつも大人しく水を口にした。