第8章 崩壊
「あの日の前の晩だって、薬研は俺のもとに来てた。本当は、悩みを打ち上げたかったんだと思う。」
今なら、わかる。
あの時の薬研が、あんな表情で自分の名を呼んだ理由が。
「俺に、聞いてほしかったんだと思う。なのに、なのに…っ」
ぼたぼたと、畳の上に雫が落ちる。
手はきつく握られ、それは男の後悔を表していた。
「俺は、じぶんこと、ばっかで。」
あの日の言葉。
あれは、俺に向けた最後の言葉だったんだ。
薬研は、きっと自分がそうなってしまうことを自覚していた。
「薬研が、言ってくれたんだ。俺の幸せを願ってる、って。」
覚えてる。
声を、言葉を、温度を、表情を。
ぜんぶぜんぶ、覚えている。
それでも、いつかはそれすらも薄れて忘れてしまうのだと。
そう思うと、男はやっぱり薬研藤四郎のことしか考えられなくなった。
忘れたくない。
何一つ忘れたくないのに、いつかは忘れてしまうのだ。
それなら、覚えている今だけでも、と。
「なのに、なんで。俺は、あの子にそばにいてほしかったのに。」
これはただのわがままなのだろうか。
全てが欲しいと、貪欲になった罰なのだろうか。