第3章 濡れ衣大明神
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(──────な…何言って…)
その思いがけない言葉に咄嗟に顔をあげる。
そんなこと彼女が了承するはずもないし、たっちゃんの剣の腕はわからないけど、あの道場の塾頭っていえばみつさんの弟さんだ…
流石にこれはたっちゃんが勝つと、誰もが思ってしまうだろう。
それに、このままいけばお義母さんのメリットが何もないことになる。
「──その代わり、わしが負ければ阿古はもう道場には行かんし、この家から一歩も出さんでええがや」
「な…」
(…そういうことか)
彼女は私を外に出すことを何よりも嫌がっている。だからたっちゃんはそれを交渉材料としたわけだ。
この家の事情なんてよく知らないというのに、ここまで的確にお義母さんのツボを押さえるとは。
でもそっか…たっちゃんが負けたら、私本当にここから出られなくなるのか。
それはちょっと、やだなぁ…
たっちゃんの真剣な表情に、お義母さんは狼狽えながら私の方を見る。
その顔はどこか寂しいような、悲しいような表情だったけれど、すぐにいつもの凛々しい顔に戻り、決意を決めたように口を開く。
「────分かりました。」
「!」
う、うそ…
あの折れないお義母さんが、この短時間ですんなりと…!?
(なんて人だ、この人は───)
ずっと手を握られたままだったたっちゃんを見上げると、それに気づいた彼がニシシと笑う。
私のことを不憫に思った女中さんたちが、何回かお義母さんに話をつけてくれたこともあった。
けれどことごとく彼女の速くてよく回る口で粉砕されたものだ…
そんな彼女を、こんなシンプルな提案で言いくるめるなんて。
「よっしゃ!交渉成立や、ほんなら用意頼むぜよ」
「……用意とは…」
「───わしのこやつの祝いの宴じゃ!」
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聖くんに襲名披露が行われる六所宮という神社に案内してもらい、急いで境内へ入るとそこにはたくさんの人が集まっていて、思わず息をのむ。
私はどういう立ち位置でいたらいいんだろうか…。
聖くんは中までついてくると言って聞かなかったけど、たっちゃんが無理やり追い返してしまったので二人して途方に暮れていると、後ろからくいくいと着物の袖を引っ張られる。
「阿古ちゃんだー」
「あ、君は…」
振り向くとこの前会った鼻水少年がいた。
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