第4章 ある種のおまじない(緑谷出久)
あ、もうこんな時間。出久が呟いて、テーブルから立ち上がった。
飲み残しのコーヒーからは、まだ柔らかい湯気が揺れている。向かいに座る私の視線に気がついたのか、彼は慌てて座り直すと、マグカップを豪快にあおった。音を立てて手を合わせ、ごちそうさまっ、と早口に唱えてまた立ち上がる。
バタバタと食器を持ってキッチンに消えていく背中。やがてジャケットと鞄を引っ提げて戻ってきた彼は、「じゃあね、行ってくるよ!」と玄関へと駆けていった。
いってらっしゃい、と私は言おうとして、テーブルに彼のスマホが置き忘れていることに気がついた。
「ちょっと待って」
呼びかけたところでふと気付く。端末の画面に表示された今朝のヒーロー関連webニュース。踊る見出しが敵(ヴィラン)の来襲、著名なトップヒーローが重症を負ったことを告げていた。
「なぁにー?」と玄関口から、呑気な声が聞こえてくる。
いつもと変わらない朝。
けれど、たまに不安に襲われる。
彼はこのまま出ていったっきり、帰ってこないのではないか、と。
「出久、忘れ物だよ」
玄関へ行き、靴のつま先をとんとんと鳴らす彼にスマホを手渡す。「気を付けてね」
「あっ、ありがと」
受け取った彼は荷物を持ち直し、玄関口にも関わらずニュース一覧にさっと目を通した。気になって仕方がないんだ。本当にヒーローオタク。ずっと昔から変わらない。