第8章 近くて、遠い【笠松】
「笠松…?」
私の呼びかけに彼は答えない。
呆然としている私と黄瀬を交互に見やると、黄瀬に向かって再度話す。
「あと少しで始業のチャイム鳴るぞ」
「え、もうそんな時間スか?!じゃあまたね、理央奈っち!笠松先輩!」
去っていく黄瀬の背を眺めながら、横で同じく彼を見送る笠松に声をかける。
「笠松」
「何だ?」
「珍しいね、そんな嘘つくなんて」
私の言葉に彼は渋い顔をする。
始業のチャイムまでまだ5分はあった。
それなのに黄瀬を帰らせた理由が知りたくて、いつもなら引き下がるところをもう一歩踏み込んでみる。
「…別に、アイツがうるさかっただけだ」
「本当に?」
「あ、あぁ…」
そんな態度が珍しかったのだろう、驚いたように目を見開いてこちらを見る笠松の手をそっと掴んでみる。
案の定彼はビクッと反応し手を離そうとするが、許さないとその手を両手で包み込む。
「なんだよ、急に」
「私が黄瀬にこうされるの、嫌だったんじゃないの?」
「!!」
はったりだった。
違ったら正直恥ずかしいどころの騒ぎではないが、私があいつに手を掴まれた時、笠松が顔をしかめた気がしたのだ。
その真意を教えて欲しい。
「……」
返事をしない彼を見上げてみると、そこには赤くなった顔を見られないように背けている笠松。
「…笠松?」
「………なよ…」
ポツリと発せられた言葉は小さくて聞こえない。
何?と聞き返して目を合わせようと動けば、突然笠松は顔を上げてヤケになったように声を絞り出す。
「そんな可愛い顔見せてんじゃねぇよ、アイツに…!!」
「…え?」
あまりにも予想外の言葉に間抜けな声が出た。
ぽかんとしてる私に構わず、もしくは気付かずに彼は続ける。
「手とか握らせてんじゃねぇよ、しばくぞ」
「ご、ごめんなさい…」
私が思わず謝ったところで言い切ったのか、彼は息を吐く。
ちょっと照れくさそうにこちらを見る彼にこちらの頬も熱くなって。
「じゃあ、笠松にならいいんだよね?」
そんなこと言って手を握ると、彼は何も言わずに握り返してくれた。
「ねぇ、あの時席交換しなかった理由って…」
「お前がいたからだよ」
キッパリと言い放つ彼は凛々しくカッコいい。
それを素直に告げると赤くなる彼は可愛らしい。
そんな笠松の一挙一動に揺れ動く私は、
きっと、彼に惹かれているのだろう。
