第1章 ノクターン
休憩時間。
体育館入り口の屋根がある場所で壁に寄りかかって紫陽花を眺めた。
隣でふわっと空気が流れて誰か来たのだと分かった。
「お疲れ。」
スクイズボトルを差し出したのはっちだった。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
ボトルを受け取る時にほんの少しだけ触れ合った指先が熱い。
どちらも口を開くわけでもなく二人の間には沈黙が流れて雨の音だけが響く。
二人でしばらく紫陽花を眺めていると自然とオレの口からは言葉が出てきた。
「笠松センパイと知り合いだったんスね。」
「ユキ兄とは幼なじみなんだよね。」
「へぇ。じゃあっちもバスケ経験者だったりして。」
っちは困った様に笑った。
その笑顔を肯定ととったオレは更に言葉を重ねる。
「もう…バスケはしないんスか?」
「うん。しない…かな。正確には出来ない…かな。」
ちょっと悲しそうに見えた横顔。
「理由…聞いてもいいっスか?」
「ピアノをね。ケガももちろんなんだけど、ピアノの前にバスケットすると
指が震えちゃうから。」
「ふ〜ん…けど、したいんスよね?今日はレッスン…ないんでしょ?
だったらすればいーじゃないっスか。」
「ダメだ。」
オレとっちの会話を突然割って入った大きな声。
声の主は笠松センパイだった。
「何でっスか! なんか笠松センパイらしく無いっスね。」
「オマエ知らねーだろ。世界三大コンクール。来年はショパンとチャイコフスキーが
同時開催の年なんだよ。国宝級の指なんだよの指は。」
っちがモデルの黄瀬涼太を知らなかったように、
オレも天才と呼ばれるピアニストを知らなかった。