第13章 君は全く似ていなかった【武田一鉄】
「…武田先生?」
ーーあぁ、君は少し彼女に似ているのかもしれない。
だからこんな記憶が、じんわりと僕の胸に押し寄せてきて、
「えっ…ど、どうしたんですか?ああ、えっとハンカチ、ハンカチ…」
慌ててる君の姿が、目を閉じていても浮かんでくる。
困らせてるなぁ、僕。
石鹸の香りと、ほのかな柑橘系の香りが近付いて、布が僕の目元を優しく拭った。
「何かあったんですか、急に泣くなんて…」
目を開けると、そこにはやっぱり焦った顔の君がいて。
そこで僕は気付く。
「あれ…おかしいな」
君は、彼女とは似ても似つかなかった。
君の髪は色素の薄い茶色で、肩よりも短くて。
香るのは、さわやかな柑橘類の匂い。
綺麗、よりも可愛いという言葉が似合う。
人懐こくて、喜怒哀楽がはっきりしてて、努力家で。
「全然、違う」
なんで似てるだなんて思ったんだろう。
君のことはよく分かっていたはずなのに。
「先生…?」
声も、違う。君は鈴に似たような声なのに。僕は、何故。
「…ああ、そうか」
僕はまた、瞼を閉じた。
僕が思い出したのは、昔の彼女のことじゃなかった。
記憶ではなく、感情。
気持ちのベクトル。
想い方。
「…武田先生、大丈夫ですか?」
あの時の想いと、同じで、全く違う感情が、僕の全身を震わせた。
ーーああ、僕は。僕の心は。
「…うん。ごめんね、大丈夫。ちょっと、昔のことを思い出して」
ぽん、と君の頭に手を乗せると、その手を君は壊れ物を扱うように触れた。
温かい。
人の手は、誰のであっても温かかった。それに気づかなかった、若かったあの頃。
間違っていた、とは思わない。あれがあの頃の僕の全てだった。
けれど、傷付いて、少し世界が広がって、大人になった今の僕。
「…早く、卒業してください」
「え、そんなに私を追い出したいんですか」
「いい意味で、追い出したいですね」
「意味がよく分からないです…」
「まだ分からなくてもいいです。待ってますから、美咲さん」
僕は柔らかい君の髪の毛をくしゃりと撫でて、温度を持ち始めた感情を胸に秘めた。
君が僕の生徒でなくなるまで。
僕が君の先生である間は、この気持ちをそっと大切に仕舞っておこう。
『君は全く似ていなかった』おわり