第11章 寛闊もの
一歩、また一歩と迫る彼に言葉を返すこともできず、じりじりと壁際へと追い詰められる。
彼を一番奥の席へ通したのは間違いだった。店内の死角となるところに追い詰められ、背中には硬く冷たい壁を感じる。
『あの、宮瀬さ_______________』
_______________チュッ
(へっ………?)
自分の身に何が起こったのかまったく飲み込めない。壁と彼との間に挟まれた私は、顔を下に向けずっと俯いていた。
私の言葉を遮るように、額に感じた"何か"とそれと同時に聞こえたリップ音。
思わず上げた顔の目の前にあったのは、艶やかで綺麗な顔。
「僕とデート、してよ?」
一応疑問形ではあるが、それは有無を言わさない空気に包まれている。脅迫じみた誘いを放つその唇に無意識のうちに目をやってしまう。
「ね?」
この初めて体感する彼の空気に流されて、つい首を縦に降る。彼の唇が弧を描く。
「よしよし、じゃあこれ。連絡してね。」
彼は、ジャケットの内ポケットから名刺のようなものを取り出すと、慣れた手つきでそれを私のポケットへと滑り込ませた。
「今日中にね?」
そう耳元で囁いた後、私の頭を撫でると満足そうに会計カウンターへと向かった。
その途中で、隼斗くんに会計を頼んでいるようだが、その会話すら耳に入らない。私はその状態のまま、休憩へと入った。
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『ただいまー…』
「あ、絵夢…おかえり。今ごはんできるから、ちょっと待ってて。」
『ん…ありがと。部屋にいるからできたら呼んで。』
いつもの数倍の疲れを背負って帰宅すると、赤いエプロンでキッチンに立つ椎がいた。最近は帰宅時間がお互い違うため別々に帰宅している。
その格好といい口調といい、彼は日に日に主婦に近づいている気がする。
_______________バタン…
「…?何かあったのかな…。」
部屋に入りコートの内ポケットへと手を入れる。失くさないようにと入れておいたが、正直今すぐゴミ箱へと投げ捨ててしまいたい。
『はぁー…電話、したくないな。』
連絡先を失くしたと嘘をついてもおそらくすぐにバレてしまうだろう。どうにか回避する方法はないかと考えを巡らせる。