第11章 寛闊もの
『…もうやだ、疲れた。』
なるべく聞こえないように小さな声で愚痴を漏らす。この口の上手さで仕事をしているのだろう。
しかし、この悪業はどうにかならないのかと考え込んでいると、いつの間にか肩に手が回っていた。
『ちょっ、いい加減その癖どうにかなりませんか…?』
「あぁ、これね。いやー女の子と話すとつい。」
離してほしいと目で訴えるが、彼には通じないらしい。私はため息を一つ吐いて、その手を払おうとした。
_______________ガッ!!
「うちの従業員に何かご用でしょうか、お客様?」
私よりも先にその手をとったのは、皆と同様忙しく走り回っていた隼斗くんだ。
その貼り付けたような笑顔に似合わず、ドスの効いた声を出す。
そして男性の割には細い宮瀬さんの手首を、握り潰さんばかりに掴み上げる。
「ちょっ、痛いから隼斗さん!勘弁してくださいよー癖なんですってばー。」
宮瀬さんは、隼斗くんからのダメージを全く感じさせない口調で言う。
それが、さらに隼斗くんの癪に触ったようで、眉間の皺がますます深くなっていく。
(…っまずい。)
こうなると、もう私の手には追えない。怒りに捕らわれた彼はもう周りのことなど見えていない。仕方なく、私はスタッフルームの奥へと助けを求める。
『マサさーん、助けてください…。』
奥のデスクに腰をかけていたマサさん。おそらく今、昼休憩に入ったところだろう。
多少申し訳なく思いつつも、この騒ぎを止められるのは彼しかいない。
「どうしたの?お客さん多くて疲れちゃった?」
『いや…それもあるんですけど、隼斗くんと宮瀬さんが…。』
「はぁー、また隼斗は絵夢ちゃんを困らせて。」
彼はいつものことか、とコーヒーを一口啜る。そして私の方へ向き直ると、その手をこちらへと伸ばしてきた。
「ほら、そんな暗い顔しないの。はい、にーっ。」
『マはひゃんっ?!』
彼の手は私の両頬を軽くつまむ。頬からは彼の手の柔らかい感触とあたたかな熱を感じる。
自分の頬が熱くなっていくのがわかる。彼はその手を持ち上げると、堪えていた息を吐き出して笑い出した。