第10章 愛嬌もの
私はまるで犬を撫でるかのように、ワシャワシャと彼の髪をかき乱す。
手に絡みつく細い髪が心地よい。いつもは特に手を加えずとも、手櫛で整ってしまう彼の髪の毛も今日ばかりはそれでは厳しそうだ。
「ん…?絵夢…今日出るの……早いん、だっけ…。」
寝起きの声は普段より少し高く、掠れている。彼は顔の上で自分の両腕を交差させる。
やはり、目覚めてすぐの窓から差し込む光は辛いらしい。
『時計見て、もう朝ごはんの時間なの。』
「え……。」
彼はゆっくりと体を起こし、愛用の目覚まし時計に目を向ける。彼の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「…ね、寝坊した……俺…。」
彼はうちに来て、最初の一件以来、毎日同じ時間に目覚まし時計をセットしている。
そして、もちろんその時間に目を覚ます。あれだけ朝が弱い彼だったのに、すごい成長ぶりだ。
おそらくあの日のことは、彼の中で若干トラウマになりつつあるのではと思っている。
「あ…えっと、ごめん…なさい。」
久しく見ていなかった彼のオドオドした態度が愛らしくて、つい頬が緩みそうになる。もう少しばかり違った表情が見てみたくて、私は演技に走る。
『ほんと、椎ったら何回起こしても起きないから、もう家出ようかと思った。』
「…っ!!」
立った状態で、上から少し冷たく言い放つと、彼の瞳が潤んでくる。その大きな瞳に見つめられると、なんだか申し訳なくなってきた。
『ご、ごめんごめんっ!嘘だよ嘘、ちゃんと椎といっしょに行こうと思ってたよ!!』
「…ほんと…?でも…今日のは、寝坊した…俺が悪い。」
いつも朝は同じ電車に乗っていくため、彼といっしょに家を出る。
置いていかれると聞いただけで、涙を浮かべるとは想定外だった。なんとなく、小さい子をもつ母親になった気分だ。
『私が椎の目覚まし止めちゃったの。昨日、多分迷惑かけたんだろうから、少しでも長く寝かせておこうと思って…。』
「あ…そう言えば、布団…。」
『ほんとにごめん!私ひとりで占領しちゃって…風邪ひいてない?寝違えてない??』
恩を仇で返す形になってしまった彼にもう一度頭を下げる。
きっと彼ならそんなことすら気にしないだろうが、やはりそこは人として謝るべきだと思った。