第3章 心が浮き立つような恋よりも
灰羽リエーフにとって、パーソナルスペースは存在しないに等しい。
後ろからくっつかれたり、髪を弄られるのは日常茶飯事。最初はその近さに驚いたし、「近すぎる」と怒りもしたけれど、そのうち諦めた。
そもそも、入学式にクラス分けの掲示板が見えずに困っていた初対面の女子を、平気で抱き上げるような輩だ。
怒ったところで、何に怒っているのかわからないと首を傾げ、数秒後にまたくっついてくる。
無邪気に伸ばされる手や笑顔に、親愛以外に一切の他意はない。
リエーフは図体のデカイ子供。色々と世話を焼く私に、姉を慕う幼児のようにじゃれついているだけ。
そう理解すれば、何てことはない。……いや、じゃれてくるリエーフの重さは「なんてことない」とは言えないけれど。
からかったり勘繰ってくる人の下世話な言葉も、リエーフの前では等しく塵と同じ。
本気で不思議そうなリエーフを前に居たたまれなくなって、すごすご引き下がるのはいつも相手の方だった。
リエーフは、私にとっては大事な友人で、世話の焼ける可愛い弟。
だから、私には近すぎる距離感も受け入れ、リエーフに限っては許した。
それは「親友」と言えるくらいに心の距離を縮めたけれど、同時に「異性」という意識を遠ざけた。
正しいことだったのか否か、私にはわからないけれど。
その時まで、私は自分の中にある小さな兆しにすら、気付けていなかった。