第54章 【外伝 黒川の疑問と安心】
烏野高校排球部OBの黒川広樹がその少女を見たのはたまたまだった。あまり多くはない人通りの中、その少女は黒川の前で落し物をした。母校である烏野高校の生徒手帳、これはすぐ渡してやらないとまずい。黒川はすぐに少女を呼び止めた。
「落としたぞ。」
「あ、すみません。」
少女はあまり目を合わさずに言った。イントネーションが何となくこの辺りのものではない気がする。
「気をつけてな。」
「あ、ありがとうございます。では失礼します。」
少女は早口で喋り、頭を下げると逃げるように去っていった。
残された黒川は一瞬だけ見てしまった生徒手帳、学生証のページにあった名前を思い出す。
「エンノシタ。」
乏しい表情で黒川は疑問形でひとりごちる。まるで意図的に作られたかのようなあまり見ない姓、黒川は1人だけ心当たりがあった。
「あいつの親戚縁者か。」
黒川の頭には一度部活から逃げてしかし自ら戻ってきた七三分けの少年の顔が浮かんでいた。
更に後日、黒川はまた町中を歩いていた。歩いていると自分の知るエンノシタを見つけた。
「縁下。」
声をかけられたエンノシタ、縁下力はあっと声を上げた。
「黒川さんっ、お久しぶりです。」
「元気そうだな。」
「おかげさまで。」
言葉を交わす黒川と力、その力の隣からあ、う、と何か言いたそうな少女の声が上がった。
「お前。」
黒川は呟いた。生徒手帳を落っことした自分の知らない方のエンノシタだ。知らない方のエンノシタはおずおずと頭を下げる。
「えと、その節はお世話になりました。」
「いや別に。」
「すみません黒川さん、この子が何か。」
「生徒手帳落っことしてたから拾った。」
知らない方のエンノシタがまずい、とモゴモゴ呟く。力はそんな少女をジロリと見た。
「美沙、お前ね。危ないじゃないか、もし悪い奴にパクられてたらどうすんだ。」
「ご、ごめんなさい。」
「本当にお手数おかけしました、黒川さん。」
「いや、それはいい。それよりそいつは誰だ。」
美沙と呼ばれたエンノシタはおどおどしながらも答えた。
「改めまして、縁下美沙です。兄がお世話になってます。」
「兄、だと。」
黒川は内心で混乱した。無理もない。説明しろと言う前に察したらしい縁下力が素早く言った。