第1章 あいことば
毎朝、眠い目を擦って揺られる電車の中での出来事だった。俺は混雑する電車内で吊革に掴まりながら、ぐいぐいと押され狭まる自分のスペースを必死に確保する事でどうにか眠気を撃退していた。朝練があるので幾らか時間帯的には早いが、それでも電車は混んでいる。サラリーマンやOLや学生がひしめく中、ぎゅうぎゅうに押しこめられた電車内で不快な表情を隠せなかった。一つ一つ駅に停車するごとに人が流れ、また戻り、更に押されていく。また一つ駅に停車した時、ぐいぐいと押され乗り込んで来た一人の老婆が、困ったような顔をしてよろけた。あっと思った時には既に遅く、自慢の反射神経も生かされないままに老婆は誰かにぶつかり雪崩が起こる。
―――はずだった。
「大丈夫ですか?」
その瞬間、目の前に座って本を読んでいた小柄な女性がスッと手を伸ばし、その老婆を支える。危うく目の前のサラリーマンに激突し、更にそのサラリーマンが隣のOLにぶつかり、そのOLが傍にいた俺に雪崩れてくるという負のスパイラルは彼女によって回避されたわけだ。その女性に支えられながら、老婆は「すみません」と本当に申し訳なさそうに体を縮めて謝る。すると女性はふわりと笑って、
「大丈夫ですよ。宜しかったら、此方、どうぞ。」