第8章 Birthday Night ※
「お兄ちゃん、帰ってこないねー」
壁掛け時計を眺めながら江はそう呟いた。
時刻は0時38分。凛が家を出てからそろそろ1時間になる。
「きっと今夜は汐ちゃんの家に泊まっていくのよ」
くすくすと笑いながら凛の母は江を宥める。
母からすると、今夜は帰ってこないことなど初めから予想ができていた。
制服や学校の荷物は実家にあるから、朝には必ず帰ってくることも分かりきっている。
「それに、彼女ちゃんの…汐ちゃんの誕生日でしょう?これで帰ってきたらお母さん逆になんで?って聞くけどね」
「そうなの?」
「ええ。誕生日って1年に1回の大切な日よ。一緒に過ごした方がいいに決まってるじゃない」
次も一緒に過ごせるなんて保証はないから、という言葉は吹き消した。
代わりに、亡くなった夫である虎一…凛の父の写真に目をやる。
「凛は、お父さんに似てきたわ」
制服姿で学校の荷物と花束を抱えた凛が帰ってきたのはつい2時間半前のこと。
突然の帰省で驚いたが、理由を聞いて納得した。
明日は、汐の誕生日。誰よりも早く、1番におめでとうを伝えたい。
そう語る息子が誇らしかった。
大切な人の為に何かをしたいと思うことが出来る。そして行動することが出来る。
本当に、虎一に似ている。
「実はね、お母さんもお父さんに同じことしてもらったことあるの」
「え!?そうだったの?」
「ええ、そうよ」
そう言って笑う母は、亡き虎一を愛するひとりの女性だった。
過ぎ去りし日々の彼の姿は、今も褪せることなく鮮明に胸に焼きついている。
「血は争えないわね。凛に息子が出来たらその子も同じことするわよ。きっと」
「お兄ちゃんと汐ちゃんの子どもかぁ」
「あら、江は凛は汐ちゃんと結婚すると思ってるの?」
「え、お母さんは違うの?」
「ううん、そうじゃないの。お母さんは凛が選んで連れてくる子なら反対する理由がないってだけ。…けど、私も汐ちゃんがいいわ。いい子よね、上品で愛想が良くて可愛らしくて」
まだ1回しか会ったことがないが、凛を立てて礼を弁えることが出来る感じのいい子だと思った。
「明日学校でしょう?もう寝なさい」
「はーい」
おやすみなさいと言って部屋から出ていく江を見届けると、母は虎一の写真に語りかけた。
「きっと、凛は幸せになるわ…」
遺影の父の笑顔は、それを肯定しているように思えた。