第1章 微かに伝わる熱
『お、月村ナイスタイミング』
放課後。香夜は職員室に寄って用事を済ませた帰りに担任である九瓏から声を掛けられた。満面の笑みで近付いてくる彼からは嫌な予感しかしない。
『……何がナイスタイミングなんですか?』
『いやさ、泉にこの資料お願いされてたんだけど、俺他にもやらなきゃならない事があるんだわ。悪いけどアイツの居る生徒指導室まで持って行ってくれないかな?』
そんな事だと思ったと香夜は肩を落とす。…が、その後に聞こえた泉という名前に動きが止まった。
『いっ…泉くんてあの泉くんですか?!』
『そそ、あの泉くんね。じゃあ後はよろしく』
『え?!先生ちょっと待っ………』
香夜が呼び止めるのも虚しく、九瓏は香夜の両手に資料を持たせ軽く両肩を叩くと片手をひらひらさせて行ってしまった。
『……どうしよう』
どうしようとは言っても頼まれたからには持って行くしかない。香夜は溜息をついて廊下を歩き出した。
泉に会うのが嫌な訳ではない。寧ろその逆である。香夜はクラスメイトである泉に恋をしていた。…とは言っても話などほとんどした事がないのだが。
『それなのにいきなり資料持ってくとかハードル高すぎる…』
何度目か分からない溜息をつくと香夜は生徒指導室の前で歩みを止めた。
ーーこの向こう側に彼が居る。
そう思うと緊張で掌にじわりと汗が滲んだ。気持ちを落ち着かせるよう目を閉じて一度深呼吸し、意を決してドアをノックした。中からどうぞ、と落ち着いた声が返ってくる。
『失礼します。資料持って来ました』
入室すると泉は作業していた手を止めて顔を上げた。白い手袋を嵌めた手でメガネの淵を軽くくいっと持ち上げる。
『九瓏先生はどうされたんです?』
『その…他に何かやる事があるとかで私が頼まれました』
『全くあの人は…』
はぁ…と泉は眉間に皺を寄せて溜息をつく。
これではどちらが先生なのか分からない。
苦笑いを浮かべていると泉は資料を受け取る為に席を立ち、香夜の側まで来て手を差し出した。