第5章 慶応三年二月十四日
「これは…流水紋に桜、か」
ふと呟いた山崎の言葉に、実桜は顔を上げて答えた。
「はい。花は桜木人は武士って言いますから。山崎さんに似合うと思って」
本当はそれだけではない。自らの名にも使われている「桜」を散らすことで、己が代わりにそばにという意味も込められている。叶わない願いなのは承知の上で、せめて名だけでもそばに在りたいのだ。だが実桜はあえてそれを山崎には告げなかった。告げるつもりもなかった。願いは己の心の中にあればいい。想いは一針一針にしっかり込めた。だから余計な事は何も言わなくていい。山崎は襟巻を受け取ってくれた。それだけで実桜は充分だと思った。
「…ありがとう。大切に使わせてもらう」
柔和な微笑みを浮かべて礼を言う山崎に、実桜の顔がまた赤くなる。
「あの、こちらこそ受け取って下さってありがとうございます」
おずおずと礼を言う実桜を見て、山崎の心は温かくなる。
「夜分遅くに長居をしてしまってすまなかった」
「いえ、こちらこそお忙しいのにお呼びたてして申し訳ありませんでした」
縁側まで見送りに来た実桜の息が白い。
「今夜も冷える。風邪を引かないよう早く部屋へ戻るといい」
「お心遣いありがとうございます。でも大丈夫ですからお見送りくらいさせて下さい」
山崎の心遣いをありがたく思いながらも、少しでも長くそばに居たいと願う己の心に実桜は従った。
「ありがとう。では失礼する」
「お気をつけて」
庭を包む闇に溶けるように山崎が姿を消した後も、実桜はしばらく縁側に佇んでいた。