第3章 紅月【クロ月】
「よお、メガネ君」
皮肉たっぷりに僕を呼ぶ声。
目を向けるまでもない。
「いたんですか」
隣のベランダに黒猫がごとく潜んでいた男は、フッと笑っただけで、再び赤くなりかけた月を見上げた。
「人の息抜きを邪魔するとか、いい趣味してますね」
じっとりと睨んで悪態をついてやる。
だが、
「あんま褒めるなよ」
彼は飄々と笑って見せた。
「......」
こういう人だって知っていたから、別に腹を立てたりはしない。むしろ安心する。
ごめん、なんて彼の口から聞いた翌日はきっと土砂降りだ。
「なあ」
冷えた空気に息が吐き出される。
何も言わずに顔を向けると、黒尾もまたこちらを見ていた。
妙に熱を帯びた視線に捉えられる。
淡く月光に照らされた顔には影が落ちて、ニヤリと笑った彼の顔は妖艶にすら見えた。
釘付けにされて動けずにいると、黒尾が口を開いた。
「傍にいて触れられるのもいいけど、こうして届きそうで届かない距離ってのも、いいな」
急に何を言い出すのか。聞いたところでろくな答えは返ってこないだろうから、突っ込まないことにした。
「そうですか」
「うん?」
満足げな顔でじっと顔を見つめられる。
また目が合ってしまうのが嫌で、体の半分を隠した月をまた見上げた。
カンカン、と何処かで踏切の警報がなる。耳障りなはずのその音は、僕のざわつく心臓の音を紛らわせるには都合が良かった。