第20章 零
部屋に戻された久摘葉は考えていた。
藤堂が自分に向けて言ったであろう千月という名前。それは誰なのか。
十鬼夜颯太と名乗る藤堂と瓜二つの青年。本当に藤堂とは無関係の別人なのだろうか。
土方が言っていた、私が脱走したという話。自分はどうして命令を無視して出て行ったのだろうか。
疑問だけが募る。
手掛かりを求めて記憶を辿ろうとするも、何だか曖昧で、虫に喰われたように穴だらけの記憶。
いや、久摘葉にとっての疑問は、先程聞いたことだけではない。
記憶を辿る内に、さらなる疑問点が浮上する。
どうしてこんなにも不自然な記憶の欠落があるのだろうか。
自分でも記憶を失ったという自覚があるのだ。それは何だか可笑しいような気がした。
記憶の中にいる自分自身が何処にも見えない。
鏡を覗き込めば、写り込むはずの私の姿は黒い霧がかかって見えない。その鏡を前にしてどんな格好で、どんな表情でいたのか。
誰かと話をしているところでは、自分だと思われる声に雑音が紛れて聞き取れない。
感覚として残るだろう口の動きもわからない。
他人の声であっても所々に雑音が混ざる。
自分の姿を捉えられない。
何を思い、何を考え、どんな行動をしたのか。
"自分"という点だけが綺麗に跡形もなく記憶から抹消されている。
全てがわからないわけではない。
しかし、忘れているという自覚がある。それは何だか妙に苦しく、悲しく、切なく。
この先の事に憂うばかりだった。
忘れているという自覚。それがあるのだから、取り戻そうと思うのも自然な事だった。
ここから出てはいけない。そう頭では理解しているが、どうしても何かを知りたいと思った。
でも広間の入り口前に到着すると、一つの声が聞こえた。
「殺されれば還れる。」
衝撃の言葉に思わず声が漏れてしまいそうになる。
これを聞かせない為に追い出したんだ。
それは何となく察する事が出来た。
久摘葉はそのまま静かに部屋へ戻った。