第16章 さよならの粒度(及川徹)
「その星の砂は、今も宝箱の中に?」
「いいえ」
なまえは目を伏せて、首を横に振った。「いつの間にか、消えちゃいました」
「変な言い方」
及川は笑った。「存在が消えるなんてありえないのに」
「私が誕生日をたくさん迎えて、気付いたら、大切にしているものが入れ替わってたんです」
「よくあることだよ。きっと、机の後ろやチェストの影に落ちちゃったんだね」
「掃除をしても、出てきませんでした」
「当たり前でしょ。持ち主の手を離れた物が、ずっとそこに居るわけないんだから」
及川は立ち上がってまた窓辺に寄った。偽のお祈りを続ける子供たちを忌々しげに見つめ、カーテンを掴んで閉める。真っ白な部屋に再び影が差し、広がった闇の深さに合わせて「消えたんじゃなくてさ、」と彼の声のボリュームも小さくなった。「ただ目に見えないところに行っちゃっただけ。でしょ?」
そして徐に靴を脱ぎだすと、静かにベッドの上に跨がり、なまえと自分の身体をシーツの間に滑り込ませた。
「いけません、徹さん」
突然の侵入になまえが慌てて咎める。「先生に見つかったら、また怒られてしまいます」
押し出そうとするも、1人分の窮屈なベッドは軋むだけで、体格の良い男を吐き出そうとはしてくれない。「回診までまだ時間はあるはずだけどなぁ?」と肩に手を回されて、簡単に腕の中に収まってしまった。
及川はいつも、手つきはうんと優しいのに、言葉尻や表情の奥に有無を言わせぬ強引さがある。けれどそこが幸せでもあった。及川と一緒にいると、無自覚下の幽かな欲が、知らぬうちに満たされていくのがわかる。今だって、なまえが夜眠れないのを見抜いたのだろう。
カーテンを閉めた曇りの日でも、薄い毛布を頭から被っても、昼間の光の微粒子は視界に届いて、相手の顔を映し出す。狭い空間の中、おでこを合わせて、及川は殆ど息だけで囁いた。「また痩せたんじゃない?腕の力も弱くなってる」
「使わないから衰えていくんです。もう一人で外を歩くこともできません」
なまえも内緒話をするように囁き返す。「毎日自分が、死に近付いているのがわかるんです」
「怖い?」
「はい。怖いです」
「怖いはずないよ。死は新しい旅立ちだ」
「それでも、知らない世界へ行くのは嫌です」
「俺と離れて、ひとりぼっちになるから?」