第23章 桜人
『よっこい…しょっ』
んー、パンプスだとやっぱり登りにくいな。
脱ぐか。
『それっ』
脱ぎ捨てたパンプスがすとん、と芝生の上に落ちた。
『おっ、明日は快晴〜』
ストッキングが木の皮で破けるのも今は気にならない。
裸足の方が登りやすい。
『よいしょー…、いやぁ、意外と登れるもんだね』
太い木の枝に座って丘の向こうを眺める。
辺りはすっかり暗くなり、家々に明かりが灯り始めていた。
『久しぶりだね』
桜の幹に寄りかかり、話しかける。
誰でもない、私の昔からの話し相手。
『…いつもここで聞いてもらってたね』
いつも変わらず、ただそばにいてくれるだけの貴方が、
弟や妹の前では出せない弱い私を、受け止めてくれる気がしてた。
先生が大切にしていた桜の木。
『春は…暖かな笑顔で凍えた心を包み…』
先生がいつか、泣いている私に言った言葉。
夏は、新緑で人を元気付ける
秋は寂しさに揺れる心をどっしりと張った根で勇気づけ
冬は桜色を思い出し、優しい季節への希望をくれる…
(この木は、貴方のようね)
頭を撫でながら私に微笑む先生の顔を思い出す。
『全然違うよ…』
先生は、この木は私のようだと言った。
そんなはずない。
『私と貴方じゃえらい違いだよ。私は8年もこの場所から逃げ続けた。貴方はこの場所から、残されたあの子達を見守り続けた』
不甲斐ない。
逃げることしか出来なかった。
『だから…』
額を幹に押し当て、目を閉じる。
私の友達に誓うよ。
『私はもう逃げない』
弱い私は、ここで捨てる。
『優しく、そばに居るだけで人を幸せにできる、貴方のようになりたい…、なれるかな…』
風が吹き、枝がしなる。
葉がざわめく音に身体中が包まれた。
『…っ』
暫く枝を揺らし続けた風は、次第に落ち着きを取り戻した。
硬く閉じていた瞼をゆっくりと開くーーー
「なれるさ」
桜の木が、私に答えた。