第2章 虚実-日本茶屋のお兄さん-
かりりっ……。
それからややして、主人の居室前を通りかかった女中が、ふと、脚を止めた。
「あら? 今、音が……?」
まるで、爪で何かを引っ掻くような……。
まして、その音は家の主人の部屋からのようで。
何事かあったろうかと、女中は、遠慮がちに襖の奥へ声をかけた。
「旦那様? どうかなさいましたか?」
よく躾けられた女中が、主人の部屋の襖を勝手に開けることはありえない。
答えを待つ女中の耳には、ほどなく主人の声が返った。
「何もありませんよ」
「左様でございますか。失礼をいたしました」
閉じたままの襖に向かって頭を垂れた女中は、何事もなかったように去っていく。
その…僅かの後に、
かりっ…。
襖の向こうから、そんな音が再び微かに洩れたものの、それを耳に止める者はもはやなかった。
その奥で、何が起きているかなど尚更…誰一人として……。
「だから…もう、来てはいけませんと、私は、忠告したの、です…っ」
「……っ! ぁっ! ぁっ、っ!」
男の荒い呼気が、朱に染まる肌を擽る。
刻まれる律動に震えながら、○○の爪が再び襖に触れようとするのを、彼の手が掬い上げた。
「いけない…人だ…」
ちゅ、と指先に接吻を受けたのを最後に、少女の身体が宙を舞う。
男の腕に抱かれ、○○の甘い啼き声は、ほどなく男の寝間へと封じられた。
愛しい愛しい愛しい娘……。
恋するほどに、いつかこんな風にしてしまうかもしれない己を感じたから…だから心を殺して、遠ざけようとしたのに。
男の心も知らず、少女は無防備に現れ、涙すら浮かべていた。
もうこれ以上…どうして堪えられるだろう?
「もう…ここからは、かえしま…せん……っ」
「…っ!はっ……ぁっ…ぁ…ぁ……ぁぁっ、ぁっ!」
日本茶屋の勤勉な主人をして、彼が自らの室から姿を現すことは、翌日までなかった……。
後日、とある日本茶屋の若き店主が妻を娶ったという噂が、街に流布されたという。
-終-