第11章 海に生きるライオン(黒尾鉄朗)
なまえの家へ着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。彼女は電気の点いていない家の縁側に座って月光浴をしていたが、俺の姿を見るなりニヤリと笑って「来たな、不幸め」と言った。
「いきなりひでぇ言いがかりだな」
「満月の夜の黒猫は不幸の象徴なんだよ。イタリアではね」
「誰が黒猫だ」適当なこと言うな、と言い返す。
「私の言葉のほとんどはテキトーだよ」
なまえは口ずさむように喋った。「それよりも、頼んだものちゃんと買ってきた?」
袋を渡す。いそいそと受け取って中身を見た彼女は「はぁ!?」と声を上げた。それを見て吹き出しそうになるのを必死に堪える。
「なんで上新粉だけなのよ」
「あれ、作るんじゃないのか」
”お団子”しか書いてなかったからてっきり、と惚けてみせると、「既成品に決まってるじゃない」と尖った声が返ってきた。
「というかクロ、わざとでしょ」
「そんな、とんでもない」
「もー!お母さんが帰ってきたら作ってもらうからね」
どこまでも他力本願な彼女を見て、やっぱり惚れた弱みだな、と1人で笑った。我儘放題なところも、拗ねたところも、俺にはとんでもなく可愛い。
なまえの隣に腰掛けると、正面に大きな丸い月が見えた。
家の中は暗く静まり返っていて、コオロギの声だけが辺りを震わせている。二人きりなのか、と考えると、愚かな下心がぐるぐると湧き上がり始めた。
さり気なく手を重ねる。何も抵抗がなかったのでそのまま指を絡ませた。
「まぁでも今年は月見団子が食べられるだけ合格ね」
なまえのはきはきとした口調がムードに亀裂を入れた。こいつ、何も気にしていないな。
「今年はってどういう意味だよ」
「去年は研磨に頼んだのよ。なのにあの子何買ってきたと思う?」なまえは憮然とした表情で言った。「コンビニでよもぎ団子買ってきたのよ。馬鹿じゃないのって言って蹴り倒してやったわ」
「なるほどな」
俺は納得の声をあげた。もちろんそれは質問の答えにではなく、先程の研磨の態度に向けたものだ。あの様子を見るに、怒ったなまえはさぞ怖かったのだろう。
「ありえないよね。よもぎ団子っていったら春のものでしょう。中秋の名月に食べるなんて、気が狂ってる」
そういうのいちいち気にするの、年寄り臭いぞ、と心の中で突っ込みを入れた。