第10章 柘榴石の烏(菅原孝支)
「なんとなくわかるよ、その気持ち」
いけない。この人がいたことをすっかり忘れていた。なまえはひやりとした。夏の暑さのせいにしたって、今のは喋りすぎで、重すぎだ。
けれど彼はそんなこと歯牙にもかけていない様子だった。スケッチブックを抱きしめて、先ほどのなまえと同じように青空を見上げていた。
「俺の後輩にもいるんだけどさ、すっごく楽しそうにバレーする奴。まだまだ下手くそで、粗いプレーも多いんだけど、とにかくボールに触るのが楽しい、嬉しい、って感じでさ......そんで、そいつがどんどん上手くなるんだよ。
そいつのこと、すごく気に入ってるし、期待もしてるんだけど、側で見てて、自分との差がどんどん縮まってくるのが、ちょっとだけ、こわいんだ」
3年なのに情けないよな、と笑う顔を見て、あぁ、この人もいろいろ抱えているのだな、とぼんやり考えた。私だけが暗闇の中で藻掻いてたように思っていたけど、遠い宮城から来たというこの人も、同じように藻掻いていたのか。
息苦しい、もう勘弁してくれ。そう思うのに、私は鉛筆を握り、彼は体育館へ通い続けているのだろう。
鈍く燻っていた視界の中に、光が射し込まれたように感じた。
「俺は絵なんて、全然わからないし、正直そんな興味もないけど」
彼は真面目腐った顔をしてスケッチブックをまた眺めた。男の子の大きな手が、なまえの絵の表面を撫でる。
「キミの絵は、好きだよ」
「え、」
なまえは咄嗟に言葉を返せなかった。そんなこと言われたの、生まれて初めてだ。
沈黙が流れた。
異様な空気に、彼は真っ赤になって「ご、ごめん、」と言い訳をした。「なんか俺今日めっちゃ喋ってるな…い、いつもはこんなんじゃないんだ。なんだろ、合宿の練習がすごいしんどかったからさ、終わった解放感でテンションがガッて上がっちゃって…」
狼狽する彼を見て、なまえは堪らず声を出して笑ってしまった。それを見て、彼はますます紅潮した顔を両手で覆った。
「違うの、ありがとう」目元に少し浮かんだ涙を拭って、なまえは弁解した。「上手だね、ってたくさん言われてきたけど、私の絵が好きって言ってくれる人は、貴方が初めてだったから」
「そ、そうなの…?」
「うん、そうなの」