第10章 柘榴石の烏(菅原孝支)
だめだ。
走っていた手がゆっくりになって、やがて止まる。
だめだ、だめだ。
こんなんじゃだめだ。
鉛筆を握る右手に力が入る。こんな棒切れ、いっそ折れてしまえばいいのに。
汗がこめかみ辺りを流れ落ちた。校庭の隅の日陰にいるのに、どうしてこうも暑いのだろうか。
鬱陶しい。何もかもが鬱陶しい。高く登った太陽も、降りしきる蝉の声も。
だめだ、だめだ。
全然だめ。全くだめ。丸っきりだめ!
だめだめだめだめ!!!
「へぇ、上手だね」
頭上から突然降ってきた声に、なまえは反射的にスケッチブックを自分の身体に押し当てた。体育座りのまま顔を上げると、誰かが斜め後ろから見下ろしていた。夏の日差しが逆光となって顔に影を作っている。
誰?
「あ、ごめん、びっくりさせちゃったな」
そう言って彼はあどけなく笑った。
知らない男の子だ。
なまえは描きかけの絵をより一層身体に密着させた。
「見せてよ。俺、絵は全然描けないから珍しいんだ」
色素の薄い髪の毛の彼は、ひょいっとなまえの腕からスケッチブックを取り上げた。
「ま、待って!返して!」
「へぇ、すごいな。風景画か」
なまえの抗議など耳に入れず、その男子は感心したように未完成の絵を眺めた。
嫌悪感と羞恥心で顔が熱くなる。
「やめてよ!あなた一体誰...」
「あ、もしかして」
スケッチブックをこちらに返しながら、彼が大きな声を出した。「廊下に飾ってあった絵、描いた人!?」
「え、」
なまえは視線を宙に彷徨わせた。確かに、自分の作品は他の部員の作品と共に飾られている。「そうだけど…」
「俺、今朝見たよ!一番でかい絵だべ?」
迷いなく言い当てられて、受け取りかけたスケッチブックを取り落としそうになった。
「う、うん、そうだよ。よくわかったね」
「やっぱりな~、なんか絵の雰囲気似てるもんな」
あれはちょっと怖すぎだけど、と彼は1人で嬉しそうに頷いた。
誰?この人
なまえは目の前に立つ少年を見つめた。煩わしさよりも、自分の絵を当てられた驚きのほうが強かった。Tシャツの胸に”KARASUNO HIGH SCHOOL"という聞き慣れない学校名が入っていた。
彼もその視線に気がついたのか、あぁ、とはにかんだ。