第10章 柘榴石の烏(菅原孝支)
夏の遠征合宿最終日ーーー
湿度の高い薄暗い校舎に、賑やかな声が響き渡る。
「ぃよーしっ!今日も頑張るぜー!」
「おおっ、ノヤっさんやる気マンマンだな!」
「当たり前だろー、龍。負けっぱなしで終わるのは嫌だからな!そうだろ、翔陽?」
「おぉー!うす!今日こそ勝ぁつ!体育館一番乗り!」
「おい日向ぼげ!フライングすんな!」
「お前ら静かにしろ!日向、廊下は走るな!」
「す、すみません...」
「まったく...」
早朝から元気を爆発させる下級生を澤村大地がたしなめる。主将としての役割を全うする彼に、東峰旭は欠伸を噛み殺しながら大変だな、と労いの言葉を掛けた。
「ほんとにな、」
大地も苦々しく返す。「最終日なのに、疲れってもんを知らないのかな。若いって羨ましいよ」
「おいおい、17歳」
「なんですか、成人男性」
「やめてくれよ…」
そんな同学年の後ろを歩きながら、菅原孝支はキョロキョロと周りを見渡していた。
夏合宿の拠点としている森然高校。慣れ親しんだ自分の学舎とは似てるようで違う廊下。とても不思議な気分だ。懐かしいのに、でも全然知らない。まるで夢の中の景色を見ているようだった。
壁際に並べられたトロフィーや賞状を順番に眺める。部活動の盛んな学校なのだろうか。運動部だけではなく文化部のものもあり、書道部、美術部の受賞作品も飾られていた。
気の無さそうに流し見をしていたが、その中の1つにはたと目を奪われて、足が止まる。
群青色に染まった大きなキャンバス。飾られている絵の中で一番大きな作品だった。
瞬きを忘れた。ついでに呼吸も。
水の中なのだろうか、それとも夜の闇の中だろうか。暗闇に差し込んだ一筋の光に照らされて、人影のようなものが蠢いていた。
苦しみ悶えているようにも、希望で打ち震えているようにも見える。
額縁の中から伸びてくる見えない手にTシャツの襟を掴まれ、身体ごと引きずり込まれる錯覚に陥る。
その感情を例えるならば、畏怖に近いものだった。
こわい、でも目を逸らせないーーー
「スガ、置いてくぞ」
ハッとする。
同期の2人が怪訝そうに菅原を見ていた。慣れ親しんだ顔が、夢から現実へと引き戻していく。
「ごめん」
いつものようにあどけない笑みを浮かべて、菅原は体育館へ歩き出した。