第50章 死にたがり女子高生と変態男子高校生(及川徹)後編
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海に落ちた時はねぇ、と頭の上で、のんびりとした声がした。「大きくひと掻きして、仰向けに浮かんでじっと待つんだよ。藻掻けば逆に沈んでいくからね」
「それさっさと言ってくださいよ!」
地面に両手をついて咳き込みながら叫び返すと、勝手に歯がカチカチと鳴った。ずぶ濡れの私から垂れる水滴で、コンクリートの地面は真っ黒になっている。
「あとさ、海水の温度って陸地の気温とふた月くらいずれるから、5月の今は超冷たいよね」
「わかってて突き落としたんですか!!?」
「うん。ごめんね」
悪気もなく言う彼に「あなたは一体なにをしたかったんですか!」と言いながら鼻をすすった。海水のせいで喉と鼻との通り道が痛い。「私が死ぬところを、見たかったんじゃないんですか!?」
「うん。見たかったけどさ、月も出てないし、自殺の理由もくだらないし、溺れ方もみっともないし、気が変わっちゃった」
そう言った及川徹は、真っ黒な地面に膝をついて、がたがた震える私をぎゅっと抱きしめた。
冷たい身体が、暖かい体温に包まれた。びっくりして、濡れちゃいますよ、と小さく言うと、平気だよ、と優しい声がした。
「誰にも言えなかったんだねぇ」
濡れた私の髪に鼻先を寄せて、彼は私に囁いた。周りが作った自分のイメージって、こわいよね、と。
「自分は特別じゃないって認めるのはこわいよね。自分が格下のヤツを見下すように、天才は自分のことを見下してんじゃないかって、思っちゃうよねぇ」
俺もさ、ちゃんとこわいんだよ。ウシワカちゃんも、トビオも。
「なんですか、ウシワカとトビオって」
尋ねると、抱きしめていた腕を緩めて、超ムカつく天才、と及川徹が顔をしかめた。彼が嫌悪感を表に出すのを見るのは、これが初めてのことだった。
「でも信じられる人がいるから、俺は全然平気なんだよ」
そう言って彼はへにゃりと笑った。「なまえちゃんも、辛いなら俺のことを信じてよ。それでも死にたくなったら、今度こそ俺が美しく死なせてあげる」
ちゅ、と音を立てておでこにキスをした及川徹は、入水がダメなら、やっぱり練炭しかないかなぁ。と笑いながら私の頭を優しく撫でた。