第50章 死にたがり女子高生と変態男子高校生(及川徹)後編
「なまえちゃんが死んで、浜辺に遺体が打ち上げられたら、俺が埋めてあげよう。大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて、その傍で百年キミを待ってあげるよ!」
「……それも、何かの小説の一節ですか」
尋ねると「『夢十夜』の第一夜!」と彼が一歩近づいた。
「さっきの遺書の、『こころ』と同じ作者だよ。夏目漱石。今から100年前に死んだ人。10年前まで、1000円札の肖像画だった人。あぁそうそう、『こころ』と言えば超絶級に有名な台詞があるんだケド、なまえちゃんは知ってるかなぁ?」
そう言って更に近づいて、爽やかに笑う彼の瞳が見えた直後、自分の身体に衝撃が走った。
「『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』ってね☆」
そう言って片足を上げる彼の靴底がこちらに向けられていて、あぁ、蹴られたのかと気付いた時には後ろ向きに水の中へと落ちていた。どぼん、と飛沫を上げて沈んだ自分の耳に、ごぼごぼと排水口みたいな音が聞こえた。
死ぬほど冷たい。目の前で泡になった空気の代わりに、肺の中に死ぬほど冷たい水が入り込んできた。足がどこにもつかなくて、咳き込みながら必死で腕を掻いて水面に顔を出した。息を吸っても、すぐに身体は海中へと引きずり込まれる。
「わ、見苦しい」
船着場の先端にしゃがみこんで、及川徹が藻掻く私をあざ笑った。「自殺したいんじゃなかったの?」
これは自殺じゃない!他殺だ!!
そう言いたくてもそれどころじゃない。彼の立つコンクリートの側面を掴もうとしても、まっ平らな上を指先が滑っていくだけだった。身体が勝手に咳き込んで、勝手に水を吸い込んでしまう。苦しい。苦しい苦しい苦しい。
『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』
溺れていく私に、感情のない声が落とされた。
「いい言葉だよね。まぁでも、俺は他に好きな台詞があるんだけどさ」
揺れる水面の向こうから、彼は右手を差し伸べていた。
「ほら、苦しいなら掴みなよ。俺の手を」
信じてよ。
そう言って私に手を差し伸べていた。
遠くなる意識の中で、必死に腕を上へと伸ばした。濡れた指先が、彼の右手に近付くけれど波に揺られて離れてしまう。やっとのことで親指と人差し指が彼の薬指に触れたと思ったら、手首が掴まれ強い力で引っ張りあげられた。
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