第48章 →→→←↑(松川一静)
「その”好き”って言うやつさ、」
短い沈黙の後、先輩が背中を向けたまま話しかけてきた。「少し、控えてもらえないかな」
「えっ、なんでですか?」
「言い過ぎだから」
「言い過ぎ……?」
予想外の返しに固まってしまう。言い過ぎってどういうことだ。好きという気持ちを素直に伝えて、それがどうしてダメなんだ。
「何回も口にすると、言葉が軽くなっちゃうよ」
問題を解きながら、先輩は言った。「有り難みがなくなる、っていうかさ」
「あり、がたみ」
「そ、有り難み」
何も言い返せなかった。そんなもののために、私は好きって言ってるんじゃないんですよ、松川先輩。私はただ、自分の中に生まれた気持ちが抑え切れなさすぎて、外に吐き出しているだけなんです。ほんとにほんとに、ただの独り言なんです。
「………」
「拗ねちゃった?」
「……拗ね、てないです」
「ん。それなら、よろしい」
「………松川先輩。私の気持ち、どうやって発散させたらいいんでしょう」
「知らないよ。他のことをしてればいんじゃないの」
「他のことって……」
ベッドの上から部屋を眺めた。先輩の部屋は何もない。物はあるけど、私の暇を潰せるものは何もない。
「ねえ、俺達付き合ってどのくらい経つと思う?」
依然こちらを向かないまま、先輩が私に尋ねてきた。もうすぐ9ヶ月です、と言うと、だよねぇ、とのんびりした声が返ってくる。
「そろそろ、卒業してもいいんじゃないの」
「何をですか?」
「その、俺にベタベタなところ」
「面倒な彼女ですか、私って」
「面倒じゃないよ。ただ、言わなくても伝わってるから」
「伝わってないですよ」
思わず先輩の方に身を乗り出して言い返した。「絶対、伝わってないです」
シーツの上に両手をつくと、小さな音でベッドが軋んだ。