第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
「よし、じゃあ明日もよろしくね!」
解散!となまえが両手を叩いたので、へ!?と驚いた。
「みょうじ、練習は?」
「本番までもうしないよ。やりすぎるとこなれた感じしてヤだろ?」
「嘘だろ!?さっきのアレのまま行くのか?今までと全然違ったじゃんか!」
「え?何か違ってた?」
「全部違ってた!台本飛ばすし、あんなギューって抱きしめたことなんてなかったべ?俺、めっちゃ焦ったんだけど!!」
「あぁ。あれね。時間オーバーしそうだったから少しはしょっただけだよ」
おつかれー、と右手をヒラヒラ振って去っていくなまえに、おい!と叫んだら「練習したって無駄だぞ」と南条が冷たく突っ込んだ。
「スガはみょうじの演技見たことなかったのか?」
「あんな本気スイッチ入ったみょうじ、今日が初めてだったよ」
「じゃあ無理もないか。あいつ、本番でいっつもアドリブいれるんだよ。誰にも迷惑かけないレベルで器用に」
「そんな破天荒なことすんのか!?」
「破天荒っつーか、多分無意識的にだろうな」
南条は馬鹿にしたように「憑依型の役者だから」と鼻で笑った。
「憑依型?」
「そう。役者の中にたまにいるんだ。役になりきるっていうよりも、乗り移ったように人格が変わる奴」
「みょうじが?」
「その時の会場の響き、お客の食い付き具合、共演者たちの集中、全てを把握して、それに合わせて演技をするらしいんだ。天才だよ。本番を楽しむ天才」
「で、でもさ、俺がどんだけパニクったかわかるか?」
「わかるよ。今までの中で一番乙女の顔してたもんな」
そう言って珍しく照れたように鼻の頭を掻いた。「すげえ良かったよ。真に迫ってた」
「うん、よかったよかった」
後ろから大地に肩を叩かれた。「ずっと練習見てきたけど、今までで一番ドキッとしちゃったよ」
「本人の俺が一番ドキッとしたよ」
「初々しいのもいいんじゃないか?」
「でも、心臓に悪い」
「まあ、なんにせよ、だ」
南条が面倒臭そうに口を開いた。
「明日の本番で全部終わりだからな」
その日の夜、どうやって自分の家に帰り何を思って眠りについたのか、何度も思い出そうとしたんだけど、何故かそこだけ記憶がごっそり抜け落ちている。多分、一生思い出せないだろう。