第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
【第8節 リハーサルをしよう】
(あれ?何か……変だ)
横髪を分けながら、回らない頭で、もしかして、と考えた。
(俺、完全に緊張してる)
それに気が付いたのは、傘のシーンが終わった直後だった。
美術部員特製の紺色の布で覆われた横長の腰掛けに座って、足元に視線を落とす。何度も繰り返して染み付いた動作は勝手に身体を動かすけれど、自分の意識は、汗が滲むくらいに熱く照りつけるライトと、真っ暗な体育館との間をふわふわ漂っていた。袴の上の指先がカタカタと震えている。
(どうしよう……)
まず頭をよぎったのはなまえに怒られる、ということだった。そして次に浮かんだのはいつぞやの青城との練習試合。場の空気に完全に飲まれた後輩の日向翔陽。今の俺は、あの時のアイツと同じ状態になってる。
「まーた、メランコリックですか?」
スピーカー越しになまえの台詞が聞こえた。いつもよりうんと低めの、芯のあるその声質にハッとした。そうだ。この状況でなんで日向の顔を思い出してるんだよ。
(いつも通りにやらなきゃ!)
バッ!と顔を上げて、それから目に飛び込んできた光景に、脳天を思い切り殴られた。
は?
と思った。
実際、声に出てたかもしれない。
だって目の前に立っていた人は、見たこともない知らない人、
に見えた。
(誰だよ、お前)
さっきまでとは全然違う雰囲気の、多分、なまえであろうその人は、学生帽のつばに手を添えて気障な笑みを浮かべてそこに立っていた。育ちの良さそうな目元の奥に、悪戯な光を宿して。
その立ち姿は、どっからどう見ても気高い美少年だった。俺の知ってるなまえじゃない。
ぽかんと見つめていたらそいつは、くい、と顎で合図を出した。そうだった。台本ではすぐにそっぽを向くんだった、と慌てて視線を外すと、俺の動きを裏で見ている放送部の女子がマイク越しに声を当てる。
『殿方の学校では、女性にそのような挨拶をなさると教わるのですか?』
ツンと澄ました声に「これはこれは、無作法なことをしました」となまえが笑いながら恭しく帽子を胸に抱えた。
「ごきげんよう、お嬢様」
一礼してから俺の隣に腰掛けて、長い両足を地面に投げ出す。