第4章 HONEY BEAT(及川徹)
「なまえちゃんもさぁ、」
及川の声に現実に引き戻された。あの日の体育館の喧騒が遠ざかり、代わりに古本のにおいと、遠くで聞こえる吹奏楽部の音が戻ってくる。
いつの間にか立ち上がった彼は、カウンターに片手を置いてなまえを覗き込んでいた。
「本だけじゃなくて、現実でも彼氏作ったらどう?」
「...ご心配どうもありがとう」
「例えばぁ、俺とかっ」
「......」
「もー!じれったいなあ」及川はふざけてなまえの本を取り上げた。「もったいないよ、そんな可愛いのに」
「ちょっと!!」
なまえは大声を出して本を奪い返した。
2人の間に重い沈黙が流れる。
「...いい加減、下らない意地張るのやめたら?」及川が低い声で言った。「俺がなんで貴重な練習時間を削ってここに通ってるか、流石にわかるよね?」
「意地張ってるのは及川のほうじゃない」
なまえは持っている本の表紙を見つめた。
これ以上喋ったら、後に戻れなくなるってわかってるのに。
「あなたが私に執着するのは、私が気のない返事をするからでしょう。手に入らない私が欲しいだけで、私自身には興味ないんでしょ」なまえは自分の声が震えているのがわかった。「人のこともてあそぶのも大概にしてよ」
及川を見ると、怒っているのか、困っているのかどっちともつかない、苦しそうな顔をしていた。
「...ずっとそう思ってたわけ?」
「そうだよ」
「なまえ、」
「やめて」及川がなまえの肩を掴もうと手を伸ばしたが、なまえはそれを拒否した。
肩で大きく息をする。自分の呼吸がいやに近く聞こえた。
「私だけは他の女の子たちと違って、浮かれないで自分を受け入れてくれると思ってた?大間違いだよ。
私は全然特別じゃないんだ、及川。他の女子と同じだよ。あんたのこと格好良いと思ってるし、天才だと思ってる」
涙が溢れてきた。止めることはできない。
及川は何か言いたそうにしていたが、急になまえに背を向けてしまった。なまえは構わずに言葉を続けた。
「図書委員だってそう。毎年律儀に立候補して、『去年も経験してるので一人で大丈夫です』、ってわざわざ委員長に進言してるんだ。周りを出し抜いて、あんたを独り占めして喜んでたんだよ。どう?幻滅したでしょ」