第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
「メイク、終わったか?」
暗幕から顔を覗かせた大地は大きな紙袋を抱えていた。
「これ、スガの分の衣装なんだけど、」と一瞬目が合って逸らされたと思ったら「ん!?」と綺麗な二度見。
「あぁ、スガか。悪い。普通に気が付かなかった。これ、お前の衣装」
「ありがと……っつーか、気付かなかったって」
「馴染んでたから。女子の中に」
「菅原くん、鏡あるよ。見る?」
「……いや、怖いから遠慮しとく」
「そっか。ナルキッソスになったらヤダもんね」
「や、そっちの意味じゃなくて」
自分の顔に恋した美少年、ナルキッソス。ギリシャ神話で伝えられる彼は水面に映る自分に口付けをしようとして水の中に落ちて溺れて死んだ。
どんな思考回路で俺と繋がったのかは知らないけれど、取り敢えず手渡された鏡をそっと押し返しておく。
「あー、大地やっと見つけた。探したぞー」
暗幕が動いて、今度はなまえが顔を出した。目が合ったけど、すぐに逸らされる。
「直前で悪いんだけど、変更してほしいとこがあるんだ」
ここのトコ、と台本を広げて大地に身体を寄せるなまえに、二度見はしてくれないのかぁ、なんて考える。
そうだよな、だって男の女装なんて去年も見たんだもんな。いや、別に感想が欲しかった訳じゃないけど、っつーか、ちょっとお前ら近すぎるんじゃないか?そんな顔近づける必要あるか?
「……ってわけでさ、ここでBGM止めて欲しいんだ。できそう?」
「多分。目安になるタイミングとかあればやりやすいんだけど」
「じゃあ抱きしめるとこで切っていいよ。フェードアウトじゃなくて、カットアウトね。バチって切るほう」
「了解」
「な、なんで音楽止めるんだ?」
別に嫉妬してたわけじゃないし、俺のこと見て欲しかったわけじゃないんだけど、2人の会話に無理矢理口を挟んだ。
なまえは台本から顔を上げて俺の方を見ると「『愛してる』って台詞の前に"タメ"が欲しくて」と平然と答えを口にする。
「へ、へえ。大事な台詞だもんな!」
「そう。この時代の、この状況で『愛してる』って、本当に重い言葉だと思ってさ。だから、ちゃんと感情を込めたいんだ」
そう言って椅子に座る俺の前にやってきて、流れるような動作で床に片膝をつくと大きな瞳で俺を見上げて言った。