第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
【第7節 女装をしよう】
「あぁ〜!駄目だ手が震える……ごめん、代わりにやって」
「私に振らないでよー。隣にパス」
「えぇ!?あたし?……よ、よし!菅原くん、失礼致します」
暗闇の向こうから女子たちの声がする。「早くしろよー」なんてからかうと「集中してるんだから黙って!」と怒られてしまった。
「菅原くんにアイメイクとか、マジ緊張MAX」
閉じた瞼を軽く持ち上げられた。睫毛のキワに引かれる不思議な感触に、思わず目元に力が入る。
「あーだめだめだめ。ぎゅっと閉じないで。無表情、無表情」
「む、無表情ってどうやって作るんだっけ?」
意識すればするほど口元が歪む。絶対変な顔になってるよ、俺。
今日は文化祭の前日祭の前日。つまり文化祭の2日前でありコンテストの1日前、そしてリハーサル当日。本番とほぼ同じ条件で練習をする日であって、メイク、衣装、音響、ステージ、全部を総合的にチェックする日。今までは演技だけ練習してきたから、本格的な女装は実は今日が初めて。
そういう訳で俺はステージ裏の暗幕に隠れた場所で絶賛メイクアップ中なう、なんだけれど、見分けのつかない大量の化粧品を巧みに扱う女子たちに囲まれてとりあえず女って大変なんだなってことを身を持って学んでいる。あー男に生まれてきてよかった。
「ライトが当たるから、気持ち濃い目でいいよー」
いつからいたのか、なまえの声がした。正直な気持ちを言うなら、今の状況を見られるのは好ましくない。
「陰影をはっきり出して欲しいんだけど、影よりもハイライトを入れる方向でね」
よろしくー、なんてのんびりした声が遠ざかっていき、やがて「よ、よし、こんなもんかな」と震える声が鼻先から聞こえた。
「菅原くん、ちょっと目、開けてみて」
言われた通りに目を開ける。
と、俺を取り囲んでいた5人が一斉に視線を逸らした。
「……やば、直視できない」
斜め上を見上げた女子が呟く。「神は罪深すぎる」
「ってか女の私のほうが負けてる……」
「素材がね。元の素材の時点で既に負けてる」
「なんかだんだん苛々してきた。なんでこんな可愛いんだ」
「殴っていいかな?誰でもいいから殴っていいかな?」
もはやコントに近いこのノリにも慣れた。黙って前髪を止めていたピンを外すと、幕が動いて大地の声が飛んでくる。