第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
「でも……俺達の寸劇は、フィクションだろ」
甘くなっていく雰囲気に耐え切れずに、わざと空気を読まない発言をすると、「うん。実在しない2人」となまえが髪を掻きあげた。
「でも私思うんだ。きっと、似たような境遇だった男女はたくさんいたんだ、って。大正時代、今から100年前。この道の上にも」
揺れてる。
なまえのスカートの裾が揺れてる。
黒いストッキングを履いた長い脚が、秋の夜風に吹かれるなまえの髪が。それを見つめる俺の気持ちが。
全部が揺れてる。
「明日のリハーサル、」
真っ直ぐ前を向いていた瞳がふいに俺を捉えた。「頑張ろうね」
「うん」
頑張るよ、俺。
キミとステージに立てて良かった、って、思ってもらえるように、頑張る。
「本当、ありがとね。澤村から聞いたよ。菅原、最初すごく女装嫌がってたんだって?」
「あぁ……ってゆーか、嫌だってみょうじにも言っただろ」
「そうだったっけ?」
「言ったよ、ちゃんと」
「そっかー忘れちゃったなー」
そんな風に、俺の大好きな笑顔で言うんだ。「でも、明後日の本番で全部終わりだ」
また世界が揺れた。
明後日の本番が終われば、俺はなまえと練習しなくなる。女子たちの好奇に満ちた視線が集まることも、冷やかしに来た男子たちに目元のホクロがエロいだなんてからかわれる日々も終わる。あの空き教室に行くことも、涙目になるほどのスパルタ指導も、ない。
嫌だったはずなのに。最初は嫌だったはずなのに。
終わりがくるのが、とても怖い。
そっか、そうだよな。そうなんだよ。きっと。
「俺、みょうじの相手役になれて、幸せだな」
カチャリ、と音が鳴った。
それは誰かが恋に落ちた音だったかもしれないし、ポケットの小銭がぶつかった音だったのかもしれない。
あるいは、俺の『常識』という名の檻の鍵が開いた音だったのかも。