第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
【第6節 一緒に帰ろう】
そんなわけで、俺は段々と夢中になっていった。
お芝居に?違う。なまえに。
怒る彼女は相変わらず怖いけれど、褒めてくれる時、俺だけに向けられる特別な笑顔があることに気が付いた。満月のように煌めくその表情を独り占めするために、気合いを入れて練習した。もちろんバレーも、勉強も。1つのことが上手くいくと不思議と他のことも調子が良くなるみたいで、その頃の俺は、なんというか、毎日が楽しかった。何をやっても、何処にいても。
「スガ、着替える前に、第一体育館」
リハーサルを前日に控えた部活終わり、部室に戻ろうとした俺の襟を大地が捕まえた。
「え、行くの?今から?」
「聞いてないのか?みょうじが来てくれって」
みょうじ。
最近はその苗字が出るだけでどきりとする。動揺を悟られないように、聞いてないけど、と口をもごつかせると「まじか」と大地が呟いた。
「まあでも、あっちの体育館が閉まる前にスガも連れて来いって言われてるからさ。行くぞ」
言われるがままついていく、第一体育館。男装女装コンテストの会場になる予定の、俺にはあまり馴染みのない場所。
「あ、来た来た。お疲れ様〜!」
重い外扉を開けて中を覗くと、体育着姿のなまえがステージの上で手を振った。
「大地はステージ上がってきて!靴下のままでいいから。菅原はそこで待機!」
そう叫んで袖にひっこんでしまう。
「何するつもりだ?」
状況が理解できない俺の質問に、靴を脱ぎながら「俺は演劇部から音響機器の使い方を教わるらしいけど」と大地が答えた。
「それなら大地1人で十分なんじゃないの?」
「だろうけど、お前にも何か用があるんだろ」
ステージに向かっていく背中に、ふーん、と返事をして、体育館の床に座った。靴を履いた足だけを外に出して、ぼんやりと空を見上げる。
最近、日が短くなった。
風が冷たくなった。
日が暮れると、なんとなく寂しい気持ちに襲われる。
「ごめんごめん。お待たせ」
紙袋を抱えてやってきたなまえは、「わ、何その黒ジャージ。格好良いね」と言って俺の背中の文字を読み上げた。「烏野高校排球部」
いいなぁ、部活専用ジャージ、という声に、いいだろー?と自慢げに返してやる。
最近、彼女と話すのが楽しい。