第34章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)前編
「まるでうちの弟と母親を見てる気分」
初めて練習を見に来た南条が、そう言ってスマホをポケットに突っ込んだ。
「せっかく冷やかしに来てやったのにさ」なんて口を尖らせる彼に、隣の大地が「でも、なんだかんだ言ってどんどん上手くなってるんだぞ」と腕を組んで笑った。
「スガも心なしか、ちょっと喜んでるし」
「喜んでるのか?あれ」
喜んでないです。
なまえに睨まれて声の出せない俺は、2人の会話に視線だけで突っ込みを入れた。綺麗に無視されたけど。
「よっし、じゃあ区切りながら最後まで通してみよう。いつも通り、黒板側がステージね。大地と南条は後ろの方で見てて」
なまえがテキパキと指示を出して振り返った。「あ、南条、今日は声出してくれる子がいないから、代わりに菅原の台詞読んでくれない?」
「俺?別にいいけど……台本なんて今日初めて見るぞ」
「読むだけだよ。菅原って書いてるとこの下ね」
「へーい」
「見とけよ、最初のとこやばいから」
大地が笑いながら南条に台本を手渡した。
「やばいって、どっちの意味で?」
「見てればわかるよ」
「あっそ」
南条は面倒臭そうに台本を受け取った。そして冒頭部分に目を通した彼は一瞬固まった。黒板の前で真っ赤な和傘を持って立つ俺を無表情で見てきたので、無言で頷きを返す。
大丈夫だ南条。俺も大地も最初そんな顔したから。
台本の出だしの1文はこう。
『菅原:傘を差して入ってくる。傘を畳みながら腰掛けに座って、溜息をひとつ。』
「はーい、じゃあ最初の座るとこまでね」
なまえが腰に手を当てて言った。
大地たちから見て顔が見えないように傘を少し傾ける。
その赤い和傘に隠れて、ふっふっふっ、と込み上げてくる笑いを抑え切れなかった。
知ってるか南条。文字だけだと地味だが、その1文を再現するにはもの凄い数の動作と集中力が必要なんだ。
見とけよ!なまえに散々泣かされてきた成果を!
「スタート!」
パン、と叩かれた手を合図に、俺は歩き出した。