第34章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)前編
「あいつ?あいつってどいつだよ」
「去年も優勝してた奴。あの書道部の」
「書道部?」
その単語を頼りに、細い記憶の糸を辿った。朧気ではあるが、昨年2年生ながら会場を湧かせたクラスがあったことを覚えている。確か、西谷くらいの身長で透き通るように色白の男子だったはずだ。
あの日の光景が浮かんできて、あぁ、と呟いた。
「あいつかぁ」
「そう、あいつ。だからグランプリは2連覇を賭けて張り切っている1組のもの。ただし、それは"ミス烏野"の話だ」
見ろよ、と頭を掴まれて顔を右に向けられる。
「こっちにはみょうじがいるんだ。今年の"ミスター烏野"は我ら3年4組がいただく」
一番廊下側の席で、みょうじなまえが女子と会話しているのが見えた。相手の耳元に何か囁いて、その子の顔が真っ赤になるのを楽しそうにからかっている。
「あいつ、演劇部でかなり背が高いじゃん。だから部活ではいつも男役をやってるらしいんだよ」
耳元で南条が囁いた。「言わば男装のプロだ。去年まではあまりに勝負にならないからと先輩に出場を止められてたらしいんだが、今年は最終学年だからな。本気を出してもらおうと思っている」
「へえ、知らなかった」
南条に頭を固定されたままなまえを見つめた。中性的な顔立ちの彼女が演劇部であることは知っていたけれど、あまり親しくもないので詳しい話は聞いたことがない。
確かに、なまえは他の女子とは違って変な甘ったるさがなく、大人びて誰にも媚びない性格だ。だからと言って男勝りというわけでもない。涼し気な目元は青葉城西の及川と通じるところがあるかもしれないが、女性特有の艶やかさもあって、似合う言葉を探すとしたら、上品、洗練、凛然といったところ、かな。短く切りそろえられた髪を耳にかける彼女に見とれていると、「わかったろ?」と頭を左に向けられる。
「女装は勝ち目ないけど、男装は優勝候補なんだよ。ウケ狙いに走るわけにはいかない。だから女役はお前になった」
「俺?なんでそこで俺なんだよ」
「この前、勉学の邪魔だからとヘアゴムで前髪を縛っていただろう。あれが男女ともに我々のハートを撃ちぬいたんだ。喜べ。満場一致だったぞ」
「喜べるか!ってかいい加減この手離せ!」
頭を押さえる南条の手を振り払ったその時、背後から聞き慣れた声が飛んできた。