第32章 クレオパトラの真珠(縁下力)
どう考えても持ち運びできないくらい分厚い本の背表紙たちに、こんなの、誰が借りるんだと不思議な気持ちになる。気紛れに、一番下の段の1冊を引っ張り出してみた。
壁のほうを向いて、両手で抱えるのがやっとなほど大きくて重いそれを床の上に置く。ここ数年、誰にも開かれていないんじゃないかと思われるその本を前に、魔法使いの儀式の如く床に膝をついて座った。
外国語で書かれた大きな大きな本の表紙をめくる。
それは裏表紙だったのだろう。知らない言葉だけれど、なんとなく一番最後のページだなとわかった。出版社とか、執筆者とか発行日なんかが書かれているページ。そこに記されている年号は私の母が生まれるよりも前のものだった。適当に真ん中あたりをねらってページを開くと、舞い上がった埃にくしゃみが出そうになる。図書館だから耐えねば、と思ったけれど我慢できなかったので両手で口を覆ってクシュ、とくしゃみをした。鼻をすすりながら本を覗きこむ。
百科辞典なのだろうか。よくわからない白黒の写真と、これまたよくわからない文字の羅列。案の定私には理解できないこのページは、それでも私に開かれるのを待っていたのだ。何十年も前から。この図書館の奥で。
自分の心臓の音しか聞こえない沈黙に、私はそのページを指でなぞった。
きっとこの分厚い本の全てが文字と写真で埋まってるわけじゃない。
私が開かない他のページは白紙だ。きっと白紙。
この世の宇宙は全部真っ白なんだ。私に関係のないことは全部真っ白。
背後で人の気配がした。
床に膝をついたまま振り返ると、少し離れた所に縁下が立っていた。ぴよんと変に乱れた髪をした彼は、私の姿を確認するとほっとしたように息を大きく吐いた。
真っ白な宇宙に向いていた意識が、また私というちっぽけな人間に戻ってきた。涙が出そうになって慌てて正面に顔を戻す。私は世界の中心のはずなのに、どうして目の前の男の子1人にこんな悲しくなるんだろう。
しばらく黙っていたら、私に動くつもりがないと察したのか縁下が隣にやってきて床に座り込んだ。
「なに読んでんの?」
小さな子にでも話しかけるように、優しい声で囁かれた。
私は答えなかった。まだ怒りの気持ちが収まっていなかったからだ。むすっとした顔をしていたら、大きな溜息が聞こえた。